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「800字文学館」

お米の原価

稲宮 健一

 家の近くの舞岡公園は私のウォーキング・コースだ。公園の中に近郊農家の〇・二ha程の田圃が二面あり、ここで、稲作農作業の現状が見られる。例年、五月の終わりごろ、耕耘機で土を掘り起し、田植機で、田植えが一日かからず終る。そして、九月下旬に機械で稲刈り、脱穀が行われ、田圃の一年が終る。
 ウォーキングで、三日に一遍はこの田圃の傍を通るが、普段、田圃での農作業は殆ど見かけない。稲作は全く人手がいらなくなったと実感する。かつての稲作は、田植え、草取り、稲刈り、全部人が田圃にへばり付いて行っていた。隔世の感あり。
 それにも拘らず、なぜ米は国際価格から遥かに高いのだろうか。
 それはひとえに経済原則に基づかない高値安定の米価に原因がある。農業団体の圧力によって、政治決着で物価にスライドして決められた。例えば、昭和三五年の物価に対して、平成十二年は五・三倍になり、米価もそれなりに値上げした。
 しかし、米は国際商品であるので、国外では原油価格や、人件費の上昇以外に価格を押し上げる要素はなく、国際な市場価格と国内価格の乖離が著しくなった。
 国内ではこの間、機械化による省力化が為されていたが、米価が高かったため、その省力化は原価低減に結び付かなかった。機械化による省力化は従来の田圃の形態を維持した状態で行われた。
 高値安定下では、小規模であれ、高齢者に支えられた兼業農家であれ、米を作れば収入が得られるため、非効率な農業が継続してきた。そして、全ての稲作の規範がこの小規模農家の農法に成ってしまった。もし、将来世界市場に打って出る世界で通用する農業を目指して、農業改革に本腰を入れて取り組んでいれば、今日問題に成っているような課題は相当和らいだと思う。
 生徒の頃、大人になったら盆栽に成ってはいけないと教えられた。正に今の稲作は盆栽に相当する。若い人が魅力を感じる規模の大きい大地に根差した本来の専業農家が育って欲しい。

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