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「800字文学館」

航空デザイン会議

都甲 昌利

 日本航空がまだ健在だった1980年代、航空デザイン会議というのが開かれた。航空デザインとは聞きなれない言葉だが、一言でいえば航空業界に言いたいことを言い<航空会社はこうあってほしい>と注文をつけるシンポジウムである。

 出席者はソニーの盛田昭夫会長、歴史学者の木村尚三郎東大教授、航空評論家の関川栄次郎氏であったが、もっと適当な人が居ないかと相談を受けたので、世界的指揮者の岩城宏之氏を推薦した。彼は1年の半分以上、演奏旅行でロンドン、パリ、アムステルダム、ブラッセルなどを飛び回り、すべて日航機を利用され、決して外国機には乗られなかった。『棒振りの旅ガラス』というエッセイ本にその模様を描いている。モデレーターは当時人気のあったNHKのニュースキャスター宮崎緑さん。

 木村氏は「航空会社は人や物を運ぶだけでなく、文化を運んでほしい」、盛田さんは「ヨーロッパまで13時間かかる。ジャンボ機にベッドを付けてほしい」また、「予約から航空券購入まで複雑だ。搭乗手続きはもっと簡単にならないか」と意見を述べられた。
 岩城氏の発想はユニークで芸術家らしいものだった。
「僕はヨーロッパに行く時、麻布の家からタクシーで東京駅へ、成田エックスプレスに乗り成田空港まで行く。日航のカウンターでチェックイン、手荷物検査を受け、出国手続きを済ませ出発までVIPラウンジで待つ。カウンターからグランドホステスが案内してくれますが、僕の方が慣れています。とにかく乗ったり降りたりターミナルの長い通路を歩く。
 僕の要望は東京駅ですべての搭乗手続きが出来ないかということです。成田エックスプレスに乗車し成田空港に着いたら車両が滑走路に行き、翼が出てきて、エンジンが取り付けられそのまま離陸してパリに向かう」

 その後、ジャンボ機に「スカイスリーパー」としてベッドが設置され、また、ICの発達によって「チケットレス・サービス」が実現したが、岩城氏の夢だけはまだ実現していない。

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