前田家の家訓
晩秋の金沢は時雨れていた。見上げると黒い雲に霞み雲、青空も覗いている。墨絵模様の空が回り灯篭のように動いていく。街ゆく人は傘の開閉に余念がないが、落着いた様子である。
観光初日の朝は香林坊から兼六公園へと歩き始めた。楓の並木道は街を錦に染めている。公園の松は雪吊りを立て、冬支度も万端の様子。半日かけて庭園内で静かな時を味わう。翌日は茶屋街や武家屋敷街を訪れた。其処では住人が今も生活しているが、風情は昔のままである。ガラス張りの超現代的な二十一世紀美術館やレンガ造りの四高記念館もこの街によく溶けこんでいる。
金沢の街には一本の太い芯が通り、現代の慌しさとは程遠い哲学的雰囲気が漂う。加賀百万石、前田家の落着いた伝統と気概である。
藩祖の前田利家は「天下を狙うな、天下人はかならず滅びる」と家訓を残した。彼の妻お松は家康に反発しかけた息子たちを諌め、自ら人質となって十五年も江戸で暮らした。その後も藩取潰しを画策する徳川幕府に対して、歴代藩主がとった苦労の逸話は事欠かない。お蔭で江戸期を無事に生きぬき、その遺風が今に続いている。
東京では徳川家の遺風をこれほどに感じるであろうか。
「一番になる理由は何ですか、二番ではいけないのですか」との蓮舫女史の発言が話題になった。文科省はノーベル賞学者を動員して反論していた。学者の世界は一日でも早く新説を発表した者が栄冠を得る。しかし政治をはじめ一般社会は必ずしも一番狙いが最良とも限らない。
日本はアジアの覇者になろうと意気込んで、太平洋戦争では痛い目に遭った。今の世界の覇者はアメリカ、次期の覇権を中国が狙っている。従米一辺倒の政策には反発を覚えるが、それも二番手國の知恵の一つだろう。身のほどを弁えて、一番手國の交代時期をよく見極めた国家戦略こそが数百年後まで日本文化を伝え残すことになる。
前田家が豊臣から徳川への覇権交代時期を冷静に読んで行動したように。