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「800字文学館」

起こってしまえば確率は……

野瀬 隆平

 舗装された道路が割れて水が噴き出している。住宅の壁にひびが入って家が傾いている。こんな様子がテレビの画面に映し出されていた。大地震による浦安の液状化現象だ。他人事だとは思えない。あの時、少し違う決断をしていたら、自分に降りかかっていたことなのだから。

 今から30年ほど前、埼玉県にある公団アパートに住んでいた。そろそろ一戸建ての家をと思ったが、都心の勤務地に近い場所はとても無理である。多少通勤時間がかかっても、経済力に見合った所は無いかと、物件をいくつも家内と見て歩いた。その結果、候補地は浦安と船橋に絞り込まれた。
 浦安は比較的近くて毎日の通勤が楽なので、私は気に入っていた。しかし家内は、埋立地で地盤が悪いのではと心配し、もう一つの船橋のほうが良いと主張した。浦安に比べて通勤時間が30分以上も長い船橋は、満員電車で通う私としては、あまり気乗りがしなかった。
 埋立地だからといって、すぐに蒙るデメリットがあるわけでは無いし、将来問題が発生する確率もそんなに高いとは思えなかった。一方、通勤時間のロスは、明日からたちまち現実に生ずるデメリットである。合理的に判断して、起こる確率のきわめて小さなリスクにこだわって、ベネフィットを放棄するのはどうかと私は主張した。大いに迷ったあげく、価格的にも手ごろな船橋の分譲住宅を購入することに決めたのである。

 人間が生活するところ、色々なリスクが潜んでいる。それを察知して避けなければならないが、そのために失うベネフィットやコストとの兼ね合いが難しい。非常に小さな確率であっても一旦、起こってしまえば、甚大な影響がでる場合は、単純に確率とうい考え方では済まされないのかもしれない。
 もしも、あの時、浦安に家を買っていたらと、胸をなでおろしているが、一方では、それは結果論であって、あの時の自分の主張は間違っていなかった、との考えを捨てきれないでいる。

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