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「800字文学館」

多摩川さらさら―東京の万葉歌碑

大月 和彦

 狛江市の多摩川べりに万葉の歌碑がある。小田急和泉多摩川駅から北へ20分ばかり、民家の庭先の築山に先の尖った自然石がそびえている。
 地元では玉川碑とも呼ばれるこの歌碑は、江戸後期の文化年間に建立された。老中を勤めた松平定信が揮毫している。建立されてから20年後の文政年間に多摩川の洪水で流されてしまい歌碑はずっと行く方不明になっていた。
 100年後の大正末に歌碑の拓本が見つかったのでこれをもとに地元の人たちが、歌碑があったと推定される現在地に再建した。渋沢栄一が協力したといわれている。都の指定旧蹟とされている。

 碑面には多摩川を詠んだ東歌が万葉仮名で刻まれている。
 「多摩川に さらす手作りさらさらに 何そこの児の ここだ愛(いと)しき」
 多摩川に手織りの布を晒す仕事をしている、そのさらす手作りの布のように、更に更にどうしてこの娘はこんなに可愛いのだろうの意。
 多摩川の流れで布を晒す作業をしながら愛する人を思う純朴な心情を表現した相聞の歌であり、作業歌でもある。天皇や高位高官、宮廷歌人の歌が多い万葉集の中で、東国の農民の土臭さや現実の生活、感情が表現されている異色の歌である。

 関東平野の西端に位置するこのあたりでは古くから麻や苧(からむし)が多く、調布―税として進貢する布が作られていた。今もこの付近には調布市など布の字のついた地名がいくつかあるのはその名残といわれる。
 碑が建っている「狛江」もかつて機(はた)の技術を持って渡来した高句麗人(高麗人)が住んだ入り江に由来するといわれる。当時ここで手作りの布が盛んに生産されていた。

 碑の建つ場所から多摩川を眺める。対岸が遠くに見えるほど河原は広い。ゆったりと流れるさまは大河の趣があり、都内とは思えない雄大な眺めだ。この歌が詠まれた当時の多摩川はもっと水量が豊かで、自然のまま自由奔放に流れていたのだろう。
 都内にめずらしい万葉歌碑の前で、古代の武蔵国の情景や農民の生活・感情に思いをめぐらした。

(12・1・11)

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