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「800字文学館」

日本のカミとホトケ(その一)

稲宮 健一

 日本では自然発生的に伝えられてきた「カミ」と六世紀に渡来した仏教が融合して独自の宗教が生まれ、現在の我々の宗教感の深層心理の底辺をなしている。哲学者 山折哲雄はこの「カミ」と「ホトケ」について歴史的背景の概観を記している。

 遠い昔、自然の中で暮していた祖先は、深い森や山、暗い闇など自然に対して畏怖の念を持った。
 京都から遥か離れた下北半島の恐山や、津軽の岩木山の麓に、霊媒を通じて死者と語ったり、霊の体現者を通じて、加持祈祷を行なったりする風習がある。死後の魂は死霊となり、時と共に供養と清めを通じて祖霊や、精霊、神霊と昇華すると信じる霊媒信仰である。仏教の伝来以前に広く国内で信じられていた当時の民族意識であった。カミは我々に不可視の霊で、我々の近くの森や、山に浮遊しており、身近な所に降臨して、その場所に神社が建立され祀られる。また神社は勧請を通じて、各地にそのカミの神社が建立される。

 歴代天皇家の皇祖神である天照大神は伊勢神宮に降臨した。同様に古代氏族がそれぞれの氏神を祀った。出雲大社がそれの一例である。各地では地域毎に氏神を鎮守の森に祀った。
 この他、古くから豊作を願う田の神が伝わっている。このカミは稲作農耕と共に興り、広く国内に分布していた。やがて、そのカミが昇格して、平安時代に社殿に祀られるようになり、その総本宮が京都の伏見稲荷である。
 八幡神は由緒が古く、大分県の宇佐に降臨し宇佐八幡神宮に祀られた。ここは八幡神の総本宮である。後に京都の岩清水に勧請され、岩清水八幡となり、さらに頼朝により鎌倉に勧請され、武運長久を願う鶴岡八幡宮となった。
 次に、稲荷神、八幡神と並んで祟りの神の代表として、北野天神がある。
 農耕神、武神、天神の三神の神社が勧請により全国に建立された。この三神が日本の生活と文化に大きな影響を与えた。
 渡来した仏教はこのカミの影響のもとで日本のホトケになった。

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