作品の閲覧

「800字文学館」

三味線が鳴く

新田 由紀子

 へたの横好きで長唄三味線を習っている。
 「何年やっているのですか?」と訊かれると恥ずかしい。ただ膝にのせて撥で糸をはじいているのが楽しいのだ。時々すらすら弾けると「どんなもんだい」と得意になる。始めたきっかけは何だったのだろう。名人の演奏を耳にして雷に打たれたのか。民謡教室で買わされた稽古三味線で、趣向を変えてみようという気になったのか。
 その三味線も二棹目になる。いつまでたっても上達しないので、「これはモノが悪いのだ」と奮発して誂えた細棹だ。稽古用とは格が違うはず。つたない音も江戸の洗練に少しは手が届くというものだ。好みの小物をつけてもらって意気揚々。「いい音でますよ」と三味線屋さんが流し眼をくれる。「いい音でるだろうね」と師匠が受けてニヤリ。二人ともこちらの手並みをお見通しなところが、何とも面映ゆい。はやる手つきもおぼつかず、調弦して勘所を爪で押さえる。一の糸、二の糸、三の糸、チントンシャン、チリレンレン。あぁ、こういう音なんだ、憧れていたのは。それからしばらくは稽古に熱が入り「腕は楽器次第」ってありかな、と胸がふくらむ。
 ある日、おさらいを終えてひと息つくと、三味線ケースの中でキュウ、ブチッと音がした。何やら生き物が悲鳴をあげたような。いやな予感。案の定、胴皮が裂けている。店に持ち込むと、張ったばかりの梅雨時は裂け易くてヒヤヒヤものだと言う。幸い快く張り替えてもらった。相変わらず自分の手ではないようないい音色。ところが、またも犬の皮が鳴いた。二度も裂ける音を耳にするなんてあんまりである。何かのたたりじゃないか。二度目になるとあちらもサービスとはいかない。張り上がって、手入れ、扱い方、今さらながらに諭されて持ち帰る。さて、どんな具合かな。あれれ、どう勘所を押さえて撥をあててみても、あの、冴えた響きがないような。
 何のことはない、三味線屋さん。腕によりをかけて張ってはみたが、たびたび裂けて持ち込まれては情けない。張りを弱めに手加減すれば、皮は裂けずに長く持つ。
 で、夢から覚めた万年素人、いつかこの手で玉の光のように鮮やかで妙なる音をと、べべべべべン。今日も稽古に精を出すとやら。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧