蘇堤にて
中国を三十年前に初めて訪問したとき、電力事情の悪さと発電技術の遅れを目にした。日本はこの国から歴史的に文字、文芸、思想宗教などの恩恵を受けてきた。技術屋として恩返しを何かしたいと、引合が出ていた中国最大規模の北侖港火力発電所に目をつけた。
ただ中国市場の価格レベルは安く、重電メーカーとして魅力ある案件ではなかった。私の勤めるT社の中国での納入実績も乏しかった。先方ではT社の技術PRを何度も行い、戻っては注文に結びつくレベルまで出し値を下げる努力を重ね、どうにか受注にこぎつけた。
その後、天安門事件などで中国社会は揺れ動いたが、発電所建設は順調に進展し、好調裡に試運転を終えた。中国にはこれと同規模の発電所がすでに数か所あったが、中国製は技術が拙く、欧米からの輸入機は手抜きのせいか、どれも満足に稼働していなかった。そのため本発電所は一躍脚光を浴び、開所式には李鵬首相も来て、大いなる賛辞を述べたと聞く。
本格運転に入って数年後、私は技術フォローに発電所を訪れた。その時も客先から感謝され、これで恩返しも出来たと満足した気分に浸った。しかし帰途の杭州市で、西湖の蘇堤を歩いていて、一種の空しさを覚えた。
その辺りは風光明媚なところとして、白楽天や蘇軾の漢詩にもよく詠われた地である。
飲湖上初晴後雨 蘇軾
水光瀲艶晴方好
山色空濛雨亦奇
欲把西湖比西子
淡粧濃抹総相宜
蘇軾は王安石と競った政治家でもあったが、政治面の業績は蘇堤以外には何も残っていない。しかし彼の詩は千年経った今でも、おおきな慰みを皆に与えている。文芸の貴さが身に沁みる。私が設計した発電用タービンも今は喜ばれているが、数十年の耐用年数である。その憂愁を漢詩風に綴ってみた。
北侖帰賦(北侖より帰途の賦) 隆甫
西湖映返景(西湖は夕日に映え)
江林晩愈青(川岸の林には夕闇がせまる)
蘇軾留名詩(蘇軾はこの景色を眺め名詩を留めたが)
我何残千載(私は千年先に何が残せよう)