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「800字文学館」

稲主神社

池田 隆

 温泉地として名高い佐賀県武雄市から旧長崎街道を東に歩きだす。両側から迫っていた丘陵も南側が急に広がり、水田地帯となる。カササギがしきりと落穂を啄んでいる。リュックより取り出したケンペルの江戸参府旅行日記(東洋文庫)を開く。三百年前に彼はこの地を見て、旧約聖書に出てくる作物豊かなメディア王国に例えている。
 木ノ元地区に入ると、鬱蒼とした樹木に囲まれた社の前に出た。石造りの鳥居の扁額には「稲主神社」とある。高い社殿に向って長い石段が直線的に向っている。ひと休みを兼ねて参拝しようと、まず神社の由緒書きを読み始めた。

 「ご祭神は京都守護職にありし源頼茂公なり 源実朝公殺害されるや次の将軍職を窺う者との讒言をうけ 後鳥羽上皇官兵をして攻め給う 頼茂公ようやく逃れ肥前国の里に匿れ姓を木元と改む
 偶々紅稲九十三把の盗難あり 代官等木元氏を疑い詰問す 木元氏頻りに辨すれども聞かれず 遂に幼児七人の腹を剖き無実を立証す 之を検すれば溝蝦と茱萸の混ぜるのみ 最後に自らも切腹して果てられる
 其の後郷内災厄頻りに起り 五穀実らず住民難渋 世人木元氏の祟りとなす 四條天皇より木元父子の霊を稲主大明神と称え祀るべしとの勅命あり 依って現在地に神殿を建立し鎮祭す 以来災息み五穀豊穣せり」

 後鳥羽上皇は頼茂を攻めた数年後に承久の乱を起こした。どう考えても彼を攻めた理由が不自然である。実は頼茂が上皇の幕府追討の企みに気づき、それを知った上皇が幕府に虚偽の伝言をした後に、先手を打って彼を攻撃したのが真相らしい。
 現世では讒言や冤罪を受け、運の悪い頼茂であった。ところが死後に世界にも知られた穀倉地帯の稲作の神様となった。稲作とは関係の薄かった祭神ご自身も意外であろう。菅原道真公が天神様になった話と似ているが、日本にはいろいろな謂れの神様があって面白い。一神教の神様は堅苦しいが、多神教では煽てられ祀られると、すぐに恨みも忘れる人間臭い神様もいて愉快である。

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