日本のカミとホトケ(その三)
鎌倉時代に日本的霊性が目覚めたと鈴木大拙は述べている。日本的霊性とは日本の精神あるいは日本の魂と言いかえられる。奈良ならびに平安初期の仏教は国家護持、あるいは貴族社会の安寧に帰する活動であった。
鎌倉時代は貴族支配から武家支配に変り、多くの庶民階級も興ってきた時代であった。この時代背景のもと、浄土宗、日蓮宗、禅宗などが興った。密教までの時代にあっては僧侶が激しい修行を積んで、自らがホトケに近い人間になり、支配階級の心に安らぎを導いた。
浄土宗、浄土真宗を開いた、法然、親鸞は若い時代に比叡山で、激しい修行を積んだものの、こころの安寧を得られず、声明を唱えることで、阿弥陀仏の本願に帰依し西方浄土に往生できる。凡夫でもあってもと説いた。この教えは念仏を通して、庶民まで救われるとして、広く衆生に広まり、現在でも 日本で一番大きな宗派である。
西方浄土の阿弥陀仏あるいは大日如来は、大乗仏教が西回りで日本に伝わる経路の中で、太陽神に影響された教義で、原始仏教の段階にはなかった。日本に伝わり固有の宗派になった。元来仏教では肉体と霊を分離する考えはなかったが、西方浄土への往生はこの二元論に近い教義である。キリスト教では天国に召されると言う。天国に至るための教義は異なるが、浄土や、天国への信仰は類似している。
念仏の教義に対して、日蓮は法華経を信ぜよと唱え、この国を法華経の国にすることで、この世がホトケの国になると説いた。現在も日蓮宗の諸宗派は健在で活動している。
禅もこの時代に開けた。禅ではもっぱら座禅に打ち込み、意識を空無にすることで、仏の世界に没入することを理想としている。この点、密教行者が行なう激しい修行による成仏と異なる。
物があふれ、飽食の今、現世が楽土であると感じられている時代だが、三一一の大災害、人口減少と将来が暗いと感じる昨今、厳しい時代を生き抜いてきた先祖の哲学を思い起す良い機会だ。