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「800字文学館」

東日本大震災の後方支援 ―遠野市の例

大月 和彦

 東日本大震災の救援で遠野市が行った三陸沿岸部への後方支援活動が、災害時救援のモデルとして注目を集めている。

 岩手県内陸部と三陸沿岸の中間に位置する遠野市は、被災地まで50㎞、陸路一時間という地理的な利点を活かし、避難民の受け入れなどの他、市内の施設やマンパワーを動員して自衛隊、警察、消防、各種の団体、ボランティアを受け入れ、ここを中継基地にして行う救援活動をバックアップした。
 自衛隊と警察は、それぞれ千人規模で運動公園や地区センターなど駐屯し、沿岸部へ出動した。延べ3・4万人のボランティアも市内で、救援物資の仕分け・配送作業を行ったり、被災地に向かったりした。

 2月に千葉市で開かれた「震災とコミュニティを考える」というフォーラムを傍聴し、遠野市の本田敏秋市長の話を聞いた。

 3年前に「三陸地域災害後方支援」の体制を作り「つながろう、備えよう」を合言葉に二度にわたって訓練を実施したという。明治三陸、昭和三陸地震津波などの歴史の教訓が生かされていたのである。

 3月11日、市役所本庁舎は倒壊するが、けが人はなかった。市内にも犠牲者がなかった。沿岸部救助の後方支援体制を作ることを指示する。
 12日早暁2時ごろ、大槌町からの男性が飛び込んできて救援を訴えた。市消防がすぐ現地に向かう。
 これがその後ずっと続く救援活動の始まりだった。
 まず食料をということで、被災地へのおにぎりの炊き出しに10班でのローテーション。コメは農家の人が持ち寄る。昼食に温かいおにぎりを届けるため朝10時までに作り、車に積み込む。
 4月初旬までに14万食作る。
 被災地の乳幼児の食品を確保するため職員を市内のスーパーに行かせ、あるだけのミルクを持ってこさせる。代金後払いで買いだめをする。スーパーも協力してくれる。

 労働協約にない勤務命令や災害救助法の規制を無視してのクルマの運行など超法規的な措置が必要だったと振り返る。

 リーダーの決断―首長力が試された対応だった。

(12・3・8)

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