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「800字文学館」

震災を顧みる

中川路 明

 昨年三・一一から一年、梅は再び綺麗に咲いた。みなとみらいで受講中二回の長い低周波振動に、経験上広汎な交通遮断を予想、主催者に退出許可を要望した。しかし、ビルは最高の耐震性と拒否され、続く消防の退去令で開放されても、時既に遅く街は大混乱、素早く桜木町、横浜駅と高齢避難所を探した。
 毛布を纏い震える入院者、ビルの壁は落ち、市役所、警察は閉門、黒い制服は見当たらず、津波見物の赤青の自家用車の波。宅地では学校開放なのに、無法、無頼のミナト行政に絶望。
 前日来日し、横浜駅も分からぬ韓国夫人を高島交番に保護依頼し、全列車停止の横浜駅内に得た土間も滞留禁止。熟慮。津波を逃れるには六年住んだ東戸塚知人宅を期待し、五時間痛む脚を引きずった。これ位で死んではならないと思いつつ、走馬灯が回り体力限界は近付いていた。ふと、気づくと車の扉を開けた老運転手の神の助け。「あなたには無理ですよ。送りましょう」
 命の恩人だった。若いときに遭った多くの死に目と異なるこの経験から、そののち仏像を拝すると、お願いする言葉より「ありがとうございます」と口をついて出るように変った。
 先日、事業を復興した石巻の友人から全国の援助に感謝の礼の電話を受けた。ただ、神戸のボランティアが経験からトイレ復旧資材を持参し、地盤の沈下した現地の人も山から土を運び準備した。不心得者の盗難頻発で役場が一般住民地区立入り禁止し、残材整理等に限定され、失望し帰られたと聞き、地方自治体の無礼のお詫びを伝えて欲しいと案じていた。
 阪神震災では多くの住民が水停止で庭に穴を掘って凌いだ。東北の地盤沈下・水没との違いが何故報ぜられなかったのか。現地ではパンや水より携帯型の簡易トイレの必要性が高まったことを伝えてくれと言っている。
 私は帰宅困難者の学校等を除く一時避難施設公開を探していた。三月横浜市広報に発表あり。http://city.yokohama.lg.jp)(92所)

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