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「800字文学館」

八九年の生涯より(三八) 忘れ得ぬ人々(九) バンドン市獣医部長 スノド夫妻

大庭 定男

 一九四五年一月より三月にかけて、ジャワ十六軍は、近く予想される敵の反攻に備えて、在ジャワの軍、民間日本人を動員して大規模な演習を行った。

 それまでの南西太平洋諸島の玉砕の戦訓から、ジャワにおいてもわが軍の貧弱な装備では正面よりぶつかる戦闘は到底できない。黎明、薄暮のゲリラ戦で敵を一日でも長くジャワに釘付けにし、日本本土上陸を一日でも遅らせようとするもので、この為には地形、地物を利用して匍匐で敵に接近し、一気に肉弾戦に持ち込む戦法を考案した。

 匍匐前進では軍服の肘、膝が地面とこすれ、すぐに穴があいてしまう。旅団司令部で被服補給を担当していた担当していた私が考え出したのは、ドンゴロス(dongerus,麻などで織った粗い布)を四角に切って角に紐を付け、手の肘、足の膝を覆い、損耗を少しでも少なくしようとするものであった。

 兵隊一人に4枚必要だから、旅団全部では一万枚を早急に手当てしないといけない。ドンゴロス袋は米穀配給公団より手当てできた。これを四角に切り、四隅につける絞め紐は貨物廠に眠っていた旧蘭軍の階級章を作る赤、緑、青などの紐を使用することにした。

 之で、材料はそろったが、これを切り、ミシンで縫いつける仕事を早急に行わなくてはならない。この為の仕事を私は婦人抑留所に頼みに行った。平素は立ち入り厳禁の「女の園」に入ることは若干の好奇心が働いたことは否めない。

 収容所長に話すと、快諾してくれた。しかしこれだけではまだ足りない。そこで、バンドン市婦人会の協力を求めたところ、大柄のスノド会長も快諾してくれた。夫人はオランダ女性に負けじと懸命で、私が状況を見に行くと、「ブランダ(オランダ人)は何個作ったか」と聞かれた。麻袋を切り、加工する仕事は埃も出、汚い仕事であるが不平一つ言わず、納期に間に合わせてくれた。

 その時以来、スノド家との交際は続いた。

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