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「800字文学館」

『酒バラ』

平尾 富男

 日本のジャズ・フアンの間で、『酒バラ』で通っている『酒とバラの日々』(Days of Wine and Roses)というタイトルの曲がある。
 元々は今から五十年前に公開された映画の主題歌だ。映画の中ではバックに静かに流される程度の曲であったが、ジョニー・マーサーの作詞、ヘンリー・マンシーニ作曲のこの作品は、多くのミュージシャンが時代を超えて取り上げ続けている。
 映画を見たことがない人でも曲の方は耳にしたことがあるに違いないジャズのスタンダード・ナンバーで、映画が公開された当時はアンディー・ウィリアムスが歌って大ヒットした。
 ジャズ・ピアノの巨匠、オスカー・ピーターソンやビル・エバンスのピアノ演奏、歌手ではジュリー・ロンドンの物憂げな歌が好きで、繰り返し聴いている。
 美しいメロディーと『酒とバラの日々』という題名から、大人の雰囲気を漂わせたしゃれた内容を期待させられるが、カラー映画主流の時代に敢えてモノクロで制作された映画そのものは、アルコール依存症に陥った夫婦の物語だ。ジャック・レモンが好演した夫の方は散々苦労した末に中毒を克服するが、妻は遂にこの病気から抜け出すことが出来ずに寂しく別れてしまう暗い顛末。
 歌詞には「"nevermore"(決して二度と戻れない)という言葉が記されている扉」のことが出てくる。一度アル中に罹ったら、元の健全な身体に戻るのが困難であることを暗示する。それと同時に、かつての夫婦の輝かしく楽しい日々の象徴でもある「酒とバラ」の過去には戻れないことも表している。
 「ワインとバラ、そしてあなたとの輝かしい昔の日々を思い出させてくれる素晴らしい笑顔(the golden smile that introduced me to the days of wine and roses and you)」で終わっている。最後の"and you"をジュリー・ロンドンの歌で聴くと、実にしんみりとさせられる。
 酒とジャズが好きな仲間と会うと、「酒と焼酎の日々だ」とか「酒でバラバラだ」とか、自嘲気味に近況を語り合う。ワインや焼酎を共に愉しめる仲間がいて、ジャズを語り合えるのは余生短い人生の大きな喜びではある。

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