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「800字文学館」

飛魚(とびうお)になった女と鮃(ひらめ)になった男

池田 隆

 3.11以降に元原子力技術者の私は多くの方より意見を求められた。それが全て女性からである。一月の脱原発世界大会は数千人の一般参加者で熱気が溢れていた。その七割は真剣な眼差しで専門家の講演を聴くヤンママたちであった。
 案の定、先日の新聞による世論調査では、原発再開に対する賛成・反対の比率が男性では41対47と拮抗していたが、女性では15対67と圧倒的な差が出た。この性別による大きな差はどうして生まれたのか。

 男性は論理的で、女性は直観的といわれる。論理的特性は物事の分析や対策に適し、科学技術の要件と一致する。科学の発展が男性社会を続けさせた。科学のもつ合理性は社会を必然的に上意下達のヒエラルヒー構造とする。構成員には男性が多く、彼らは組織上部の意向を窺う習性となり、両目は鮃のように上ばかりを向く。政財官学のトップが原発再開を唱えれば、その下部にいる多くも同じ方向を向く。他方を向く男性は大きな組織に属さない連中が主体である。
 一方、女性は直観力を生かし、芸能や文芸の分野で活躍し、家庭では中心役を担ってきた。女権拡大の社会風潮で家事労働から解放されると怖いものなし、海外に飛立ち、NPOで活躍し、カルチャーセンターや読書で教養を高める。自由は彼女たちの視野を広め、発想を豊かにした。あたかも海中の世界から空中に跳び上がった飛魚である。

 科学や合理性は確立された枠組の内でしか成り立たない。世の中にはその枠外に不確かなこと、曖昧なこと、分らないこと、いわゆる想定外の事象がごまんと存在する。枠の内と外、全ての情報を統合する力が直観である。生物は個体と種族の保持に直観力を用いている。その本能を男性の半分弱は退化させ、女性の多くは進化させた。その結果が原発再開に対する今回の男女差となったのだろう。
 「女性に乾杯!(完敗?)」
 もう一言、老爺心から
 「世のキャリアウイメンよ、経済新聞ばかりを読む勿れ。いつか知らぬまに鮃になるぞ」

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