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「800字文学館」

入社式

稲宮 健一

 桜の季節と共に入社式のニュースが伝わる。最近は多くの東南アジアの人が正社員として第一歩を踏み出す様子が報じられている。隔世の感あり。
 もう遥か昔、昭和三九年、私の三菱電機の入社式を思い出してみた。その年、電気系の技術者は二五〇人程で、西宮の独身寮で式は行なわれた。この寮は二人用の和室と、広い食堂、テニスコートが備わった三階建の建物である。

 四月一日午前九時、関義長社長の訓示が式場に充てられた食堂で始まった。「三菱は仕事を通じて国家に奉仕することを旨とする」と言われたことが今でも記憶に残っている。それに引き続き、一人一人の名前が呼ばれ、起立し、返事をして、正式に社員になったことを意識した。
 座席は予め指定されて、旧帝国大学、早慶、新生の国立大学等々の順番なっていて、実社会での学歴序列、年功序列、の最初の初期設定を実感した。
 初日の行事が終わり、寮の夕食を取った後、日の落ちた夙川に散策に出かけた。寮の近くは阪神間の「細雪」で描かれている、谷崎お気に入りの関西のゆったりした家並のあるところだ。丁度春たけなわ、木々が芽吹き、桜が開花する時期であったから、家々の庭木から春の香りが漂い、早春の和やかさと、実社会の第一歩を終えた解放感と同時に高ぶりも感じた。

 入社式から三ヶ月間は担当部門に配属になる前の一般の見習い研修である。講義と現場実習のため、日中は伊丹の工場勤務、定時に退社し夙川に戻った。寮では何もすることはない。気の合ったもの同士が集まり、よく飲み、よく歌い、お互いの思いなど語りながら、毎日がコンパの連続であった。よって、昼間の研修は眠かった。それでも、当時の労使関係を深堀した教育課長の話には目を大きく開けたし、素人の女に下手に手を出すな、金で片付かないと助言した総務部長の言葉など今でも覚えている。
 かつての見習は一年間で、実務なし。もうそのような悠長な面影は残ってないと思う。

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