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「800字文学館」

強行遠足

志村 良知

 旧制甲府中学時代に始まった「強行遠足」は、甲府一高に受け継がれ、私が三年生の時には昭和の年号と同じ第41回だった。コースは国道20号線松本方面から、5年前に夜間交通量が少ない国道141号線佐久方面に変更され、さらに前の年目的地はその後40年間続くことになる小諸に定められた。距離103㎞、制限時間は翌日正午までの20時間、小諸初年だった前年の完走率は約一割。

 10月半ばの午後4時、校長の叩く大太鼓に送られ、三年生の我々は真っ先に校門を飛び出した。100㎞を走り続け、先頭でのゴールを狙う運動部の連中は猛ダッシュして街道への曲がり角に消えていく。
 抜群の体力と運動能力の持ち主G君も、角で振り返って手を振り、「小諸で待ってるぞーっ」という、後に強行遠足の伝説になった名セリフを残して走り去った。先に横たわる闇と距離と坂道の重圧に引き攣っていた我々仲間はどっと笑った。

 憧れの完走、小諸到着への最大の難関は真夜中にさしかかる標高1375m、甲府との標高差1100mの野辺山高原越えである。須玉から15㎞余りで900m登る、箱根峠より凄い弘法坂を越えて清里に着いた時は一人ぼっちになっていた。孤独と疲労困憊の中でさしかかる野辺山の寒さと真っ暗な砂利道で精魂尽き果て、駅前の大テントで炊き出しのしじみ汁を受け取るとその場にへたりこみそうになる。しかしまだ中間点、ここで坐りこんでいては小諸まで行きつけない。
 野辺山から千曲川の谷に下る国道も当時は真っ暗で急な砂利道だった。千曲川沿いに出れば道は概ね平らになるが、小諸に近づくにつれて、足の裏の肉刺は潰れ、脚は動かなくなる。ラスト15㎞余りは5㎞ごとの救護所に定められた制限時間の「前進停止時間」との戦いであった。しかし沿道では声援とリンゴの差し入れが力づけてくれた。最後の三岡救護所を過ぎればもう小諸までやめろという者はいない。
 G君は本当に小諸で待ってくれていた。

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