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「800字文学館」

短い人生、せめて酒でも

平尾 富男

 杜甫は、1240年以上も昔に、59歳でこの世を去った。その人生は今から見れば短い。それでも、当時としては普通だった。だから「人生七十古来稀」と詠ったのだ。「詩聖」と崇められた唐の大詩人である。
「古希」の言葉の出典は、47歳の杜甫が朝廷から左遷されることが決まっていた時期に詠んだ『曲江』と題された詩。
 意訳すると、
「朝廷を退出すると服を質に入れ、曲江の池の畔の居酒屋で、毎日浴びるほど酒を飲んで帰宅する。人生70歳まで生きる人は稀なのだから、せめて酒でも飲もうではないか。花の蜜を吸う蝶、水面に尾を付けて卵を産むトンボのように、たとえ束の間であっても流転する季節とこの身を楽しんでいたい」
 未だ人生を諦めきれない杜甫は、都を追われる境遇を嘆いて詠う。日々泥酔するほど飲まざるを得ない鬱積した胸の内を、詩作で晴らそうとする。同じころに作られた「国破れて山河在り」の成句で知られる『春望』と併せて読めば、後世の読者、特に古希を迎えた現代人は詩人の心情に大いに共感する。

 その杜甫の11歳年下の李白も61歳で亡くなっている。杜甫と並び唐最盛期の代表的詩人で、「詩仙」と称された。
 漢詩を学校で学び始めたころに、李白の「白髪三千丈」とか「飛流直下三千尺」の誇張表現に出合う。後に社会に出て暫くして覚えた『客中行』という詩は、今でも気に入っている。
「蘭陵に産する美酒は、ウッコン草のような良い香りがする。玉の椀に汲めば、琥珀色に輝く。ただ酒場の主人がその酒を勧めてお客(である私)を酔わせてくれさえすれば、他郷に居ることを忘れさせてくれる」
 放浪の詩人、李白の真骨頂ではないか。かつて朝廷に抱えられた詩仙の名声は、朝廷を追われた後も国中に広まっていた。故郷から遠く離れて国中をさすらう詩人が、一時の安らぎを求めて居酒屋立ち寄る。そこで詠んで差し出す詩は呑み代の代わりになるのだ。

 二人の大詩人の人生に、酒は欠かせなかった。

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