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「800字文学館」

追想 遠藤さん

大平 忠

 先月の末、奈良へ行った。かねて行きたいと思っていた秋篠寺を訪れることができた。
 当クラブの亡くなられた先輩である遠藤さんは、旧制高校の頃奈良を廻られ、秋篠寺へ行かれたという。ところが、夕方遅くなり目当ての伎芸天を拝観できなかったとか。その後年月を経ても伎芸天への思いは残り、平成19年に、秋篠寺を再訪された。なんと63年ぶりで、このとき遠藤さんは83才になられていた。『悠遊』15号には、念願叶った伎芸天拝観に際しての感動に満ちた文章が記されている。編集を担当して、この原稿に何度も手を入れられる遠藤さんに、63年にわたる思い入れの深さを感じた。
 遠藤さんは、古い寺院の静かなたたずまいや、美しい仏像をことのほか愛しておられた。以前の『悠遊』にも、仏像を訪ねての紀行文がいくつか見受けられる。
 遠藤さんの文章に接して以来、秋篠寺の伎芸天を是非見たいという思いが日と共に募ってきた。今回の奈良行きで叶えられた。
 秋篠寺へ向かう朝は快晴で、穏やかな温かい日だった。『悠遊』に書かれている行程をその通り辿っていった。10時頃、秋篠寺に入った。人影は見えず、境内は静かである。御堂の受付も声をひそめて、こちらも音を立てるのがはばかれた。薄暗い堂内は、蝋燭だけが仏像をほんのり照らしている。伎芸天は向かって一番左の立像だった。立ち姿がなんともいえない。たおやかとはこのことなのだろうか。女性のほのかなふくらみの流れが魅惑的である。足を右と左やや前後におき、少し半身のポーズである。このような仏の立像は今まで見たことがない。お顔はなまめいて美しく、唇に謎めくかすかな笑みを浮かべている。見るものが包み込まれ、懐に吸い込まれていきそうだ。瞬間、これだと思った。遠藤さんが、63年という長い年月を通して持ち続けられた、伎芸天へのお気持に触れたような気がした。
 秋篠寺をあとにしながら、遠藤さん、行ってきましたよとつぶやいた。

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