作品の閲覧

「800字文学館」

「三陸海岸の幽霊―遠野物語より」余話

大月 和彦

 三陸海岸の田の浜(山田町)の北川(旧姓)福二さんは、明治29年(896)年三陸海岸を襲った津波で妻と子ども一人を失ってしまう。屋敷跡に建てた小屋で残った二人の子どもと暮らしていた。一年後の夏の夜、便所に行こうと外に出ると男女二人が渚から歩いてくる。女は亡くなった妻で、連れの男は福二さんが田の浜に婿入りする前に妻と相思相愛の仲にあった。今は夫婦になっているという。「子どもは可愛くないのか」と声をかけると悲しそうな顔をして去って行った。
 この話は、柳田国男に遠野地方の伝説を語った佐々木喜善が、親戚に当たる福二さんから聞いた実話で、遠野物語に載っている(第99話)。

 昨年5月、800字文学館に「三陸海岸の幽霊」としてこの話を投稿し、妻子を失って悲しんでいる福二さんへ「私はこの世に来ても幸せ。元気で子どもを育てて下さい」という妻のメッセージと解したいと結んだ。

 同じ年の8月、朝日新聞の天声人語が柳田国男の命日にこの話を紹介し、生身の人間の切なさを思えば胸がつまると書いた。

 東日本大震災から1年目の今年3月11日、毎日新聞(全国版)は、一面に「悲しみ語り継ぐ―伝えられた116年前の物語 娘へ、未来へ」として、福二さんの子孫のことを報じている。岩手県山田町の長根勝さん(52才)。明治三陸津波で妻子を失った福二さんのひ孫に当たる。
 津波の当日、山田町の自宅にいた福二さんの孫に当たる長根さんの母は、裏山に逃げる途中波につかまり流されてしまった。
 長根さん夫妻と一人の娘は別の所にいたので助かったが、家は流され、今は仮設住宅に住んでいるという。
 116年の後、三、四、五代目の子孫がまた津波で肉親と家屋敷を失ってしまう。三陸地方では珍しくない事例にちがいない。

 明治三陸津波に遭いながら生き残った長根さんの祖母は、このことを話したがらなかったという。残酷過ぎる両親の運命は思い出したくなかったのだ。  今度の災害でも数えきれないくらいの悲劇が起った。悲話哀話はずっと語り継がれるだろう。

(12・5・10)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧