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「800字文学館」

南方熊楠と夏目漱石

都甲 昌利

 熊楠も漱石も明治時代に英国で勉学した。熊楠は慶応3年和歌山県に生まれ、小学校時代から『和漢三才図会』などをむさぼり読む神童といわれた。しかし、性格は粗暴で物事に一心不乱に熱中するタイプだったと言われる。その頃から植物学に興味を持ち特に新しい菌類の発見に努めた。  イギリスに渡ったのは25歳の時で、大英博物館図書室に通い、植物学のみならず、考古学、人類学、民俗学などの蔵書を片っ端から読みふける日が続いた。新発見の緑藻という粘菌を世界的権威のある科学雑誌『NATURE』に発表したことから一躍脚光を浴びる。  博物館には利用した人物の名前が書かれているパネルがある。ディケンズ、マルクス、ガンジー、レーニンのなど、世界を動かした錚々たる人物だ。ある時、その中に熊楠の名前を発見し日本人として誇りに思い嬉しくなった。  一方、夏目漱石は慶応3年、東京生まれで年齢は熊楠と同じ。東大英文科を卒業、熊本の第五高等学校の教授を経て文部省給付生としてロンドンに留学する。文学志望だった漱石は英語研究の留学で不満だったらしい。その上「物価高真ニ生活困難ナリ十五磅(ポンド)ノ留学費ニテハ窮乏ヲ感ズ」と生活も困窮。陰鬱な天候、孤独と不安に陥り、極度の神経衰弱になる。豪放磊落な熊楠と性格は正反対である。  年表を調べて見ると、熊楠は明治33年に8年間の研究生活を終えて帰国する。漱石は入れ違いにロンドンに着いたのでロンドンで会うことはなかった。  漱石は1年半の留学後帰国する。帰国後の漱石の活躍は素晴らしい。『坊ちゃん』、『草枕』など次々と作品を発表し、日本の文学界、思想界をリードする。門下生に寺田虎彦、安倍能成、芥川龍之介らがおり、日本人に親しまれ、千円紙幣に肖像が印刷される。胃潰瘍で49年の短い生涯を閉じる。  熊楠は帰国後、多くの著作を残し、日本の植物学、民俗学に貢献し、74歳でこの世を去った。漱石ほど人気がないのはどうしてだろうか。

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