うしろ姿のしぐれゆく
私の好きな漂泊の俳人種田山頭火の去就を描く、内藤安彦主演民芸公演『うしろ姿のしぐれてゆくか』を観た。
母を自死で失った大地主種田は、奥さんや子供たちの村に帰らない。【風が吹く。俺の一生を、風のように、虫のように、また草のように生きてきた】!彼の俳句は季題も定型律もない。雲水姿と網代笠で酒を好み、作句十万近い放浪の生活に行乞の鉄托鉢を手に、俳句そのものに生きた俳人だと、原作者の宮本研もいう。
劇は、女へんろ塩屋洋子はじめ妻、娘、妹、芸者、女給、女中と十二人の芸達者が句を問いかけ、リフレインする合唱団のような進行だった。
世界の誰も作っていなかった私のタッチパネル開発当初は、ソニー菊池博士を除いて化学屋のスイッチが使えるかと見向きもしない。私は言志四録で『暗夜を憂うる勿れ。ただ一灯を頼れ』の山頭火の一節を見出し、心に火が走った。毎夜終電車まで当日の開発結果を論じ、若い仲間と肩を組み、社是とした一灯を高唱し家路に向った。その後念願の世界一を達成、感謝に配った一灯の十五文字のテレホンカードは今も必携している。
山頭火は頑健な体と繊細な心で、「振り向かない道をまっすぐ」一九四〇年にナイーブな生を終えた。晩年に鉄鉢の中の霰を詠んだ優しさは変わらなかった。
経済低迷,震災、原子炉崩壊と昨今の日本のうしろ姿はしぐれそう。若い人は頑張っている。ペンクラブも事後の言挙げでない真直ぐな提案が待たれている。
以上