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「800字文学館」

緬羊

志村 良知

 子供の頃、私の家を含む数軒で緬羊と呼んで羊を飼っていた。農家が山羊を飼うのはごく普通であるが、甲州で羊を飼うというのはかなり珍しい事だったと思う。
 羊は年に一回毛を刈るとき以外は人が触れる必要がない。一日一回乳搾りをするために繋がれている山羊を尻目に、小屋と付属した広い運動場を自由に行き来して楽しそうに暮していた。私の家には一頭の雄と数頭の雌からなる構成の五、六頭がいて、子羊がいる事も多かった。
 ヨーロッパの山岳地帯で放牧されている群の中にいる雄羊は、やたら偉そうにしていてハイキングなどで出会うと脅しにかかってくる。家の雄羊も気が荒く、女子供は柵に入ってはいけないと言われていた。父も柵の中では雄羊とは眼を離さず常に睨みあって用心していた。油断すると突きかかってくるのである。小屋の壁や柵に向かって常日頃トレーニングしている彼らの突きは低く鋭く危険であった。

 生まれた子羊には尻尾があるが、すぐ焼いたトングで尻尾を焼き切ってしまった。かわいそうであるが糞で毛が汚れない為の処置であろう。親羊の尻尾は切り株状になっていた。後にヨーロッパで放牧されている羊の切り株状の尻尾を見たとき「親父も同じ事をしていた」と感動した。
 山梨県立美術館所蔵の羊の画家シャルル=エミール・ジャックの絵でも、子羊には尻尾があるのに親羊の尻尾は切り株状である。

 年一回の毛の刈り取りは村中の羊を集めてのお祭り騒ぎで見物が楽しみだった。羊は蓆を敷いた上に順番に転がされ大きな電動バリカンで服を脱がすように毛を刈られた。素人の仕事なので羊が暴れると手許が狂う、元気の良い若い羊などは裸にされて立ちあがる時は、ピンクの体が傷に塗られた赤チンだらけになっていた。毛は計量され誰それの分何キロと板にチョークで書き出されていたので、業者が引き取り、恰好の現金収入になっていたのであろう。映像記録があったら面白いだろうな、と思う光景の一つである。

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