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「800字文学館」

物造りの成果『原鉄道模型博物館』

中川路 明

 七月十日横浜三井不動産に原鉄道模型博物館が開館した。趣味の鉄道車両技術と物造り加工に専念した、コクヨ副会長原信太郎氏(東工大卒)秘蔵の鉄道模型約千台を展示する。彼は海外の原図を入手、自社工場で全部品を加工・製作、特に駆動機構による振動発生解析した功績を世界は賞賛した。
 私は新事業開発を担当、異業種間交流に熱心な松尾隆新経営研究所長との交友の間に原さんと親しくなった。四十年前、関東震災を教訓に芦屋高級住宅地麓々荘に耐震住宅を建て、広大な庭に四十mの周回路を敷設した石炭機関車の試運転に招かれた。幅四十㎝の箱椅子五両連結である。流石の原さんも作業衣、早朝から灼熱の石炭を前に噴出蒸気を点検。汽笛一声出発、鉄橋に歓声を挙げる試運転は大成功だった。
 模型による物造り改善例として、左右対向座席の客車模型の全長に一㎝長さの精密吊革を等分に配し、駆動振動の影響を数値化するなど鋭い着眼点に驚かされた。
 原さんは駆動・連結の機構が車両振動に及ぼす影響や、その原因となる製品の寸法精度、面粗さを重視した。先の福知山線の悲惨な事故に多くの原因はあるが、狭い土地での急旋回・,過密ダイヤが車両実態を無視したことに間違いない。
 原さんの当時中学生の次男丈二君は、外の試運転騒ぎを他所に、自宅の四十畳居間に自由に運転交差回路を組み、模型列車の接続、追抜きに夢中だったことを思い出す。彼も天才を継ぎ、スタンフォードに進学、シリコンバレーのベンチャキャピタリストとしてインテル、マイクロソフトを育成、至宝となった。
 私が肴焼網から交点絶縁を着想、透明導電フィルムを使う世界初の透明電卓を開発、ATMなど商品は売れたが収益が少ない。社長に呼ばれた。「パソコン市場が成長したら世界一になる自信があるか。それなら赤字は覚悟する。諦めるなら今だ」。米国の盟友との半年の交流、新技術見通し、十二人の信頼する若い同志に後押しされて、私は「はい」と即座に約束した。技術は米国、物造りは我々、事業は日米合弁の腹案を丈二君に説明した。答えは「米技術は金融経済の魔物。自分の物造りを信じなさい」。原さん親子は四年後の世界一を齎した恩人である。

―終りー

二四・八・九

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