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「800字文学館」

イスラム教のいろは

稲宮 健一

 ジャスミン革命と言われ、イスラム圏が騒がしい。これを機に「イスラム教をよりよく知るために」と題する講座を聞き始めた。その一端を書きとめてみる。

 この宗教の起源はユダヤ教である。ユダヤ教は旧約聖書を教典とし、預言者モーゼを持ち、厳しい戒律があるユダヤの民族宗教である。こから派生したキリスト教はローマ帝国の国教となり、中世の西欧社会を通じて世界宗教になった。

 イスラム教はこの素地の元、預言者ムハンマドが六一〇年に神の啓示を受けて、唯一神アッラーへの帰依を説いたのが起源である。イスラム教では預言者モーゼを認めているが、ムハンマドが唯一神アッラーの言葉を伝える最後の、即ち最新の預言者であるとしている。そして、その教えは彼の生涯をかけ、初期の迫害を乗り越え、アラビヤ半島全域に広まった。

 キリスト教では聖書、キリスト、教会がある。中世のキリスト教では教会と聖職者が社会を支配した。一方イスラム教ではコーランが総てで、祈りの場のモスクはあるが教会はない。総ての事柄はコーランに立ち戻り判断する。従って、コーランと信徒の間に、コーランの解釈をする聖職者ウラマーがいるが、司祭や、牧師はいない。

 中世の西欧社会では、キリスト教は宇宙、人間の創造から、天国にいたる総てを完全に説明し尽したと説いた。しかし、これを疑う人々が突出して、疑念の一つ一つを自然の摂理と精緻に観測し、教えと異なる自然の成り立ちを知り一歩一歩科学が発達していった。中世の閉鎖的社会から抜け出そうとした原動力はこのような宗教的な矛盾の克服のほか、高緯度の寒冷地帯の中で、多民族がひしめく狭い地域、狭いが故に一つの科学の種が直ぐに知れ渡り、社会科学の萌芽も含め、切磋琢磨され、育っていった潮流であった。このようにして現在の西欧文明が築かれていった。

 これに対して、キリスト教分明の隣のイスラム教分明に、なぜ同じ潮流が興らなかったのか。大きな課題である。

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