歌を忘れたカナリアは
ある人が大きな過ちを犯し、その責任を負うべきだと言うとき、あいつは「切腹ものだ」と表現することがある。それを西洋では、「銃殺ものだ」と言うらしい。実際に銃殺する訳ではないが、責任の重さを強調する表現だ。責任を自ら感じて命を絶つ切腹とは異なり、本人が責任を認めないのなら、代って社会が死刑を申し渡すということで、切腹より厳しい。
「GDPデフレーター(物価動向を示す値)はここ13年間、下がりっぱなしです。それなのに今、日銀が重い腰をあげないというなら、(その責任者たる総裁は)銃殺に処すべきです」
これはれっきとした経済学者、しかもノーベル経済学賞を受賞したこともあるプリンストン大学の教授、ポール・クルーグマンが、あるインタビューで語った言葉である。
長年停滞する日本経済を回復させるために、日銀は大胆な量的緩和をすべきである。それなのに、腰の引けた対応しかしないと、批判的な意見を述べてきた私であるが、ここまで過激な言葉を使うことはなかった。
また、日銀の白川氏については、こんな話もある。
東大時代の恩師で、現在イェール大学の教授である浜田宏一氏が、かつての教え子の頑なな態度に対し、ある本の中で公開書簡の形をとって、総裁あてに次のように書いている。
「いまの日銀は、金融システム安定化や信用秩序だけを心配して、その本来の重要な任務であるマクロ経済政策という『歌』を忘れたカナリアのようなものです」と。
この恩師の率直な指摘に対して、白川氏自身もアメリカで勉強し、その意味を十分理解しているはずなのに、これを無視し知らん顔をしているとのことである。
日本の原発を推進してきた一団が、「原子力村」と強い非難を浴びたが、日銀も自分たちの論理に固執し組織を守る「日銀村」と言っても過言ではない。
歌を忘れたカナリアは、「月夜の海に浮かべる」という甘い扱いではとても歌を思い出しそうにない。まさか銃で撃つわけにもいかないが……。
注1:クルーグマンの言葉 「現代ビジネス」という講談社が運営するサイト
注2: 浜田教授の書簡 『伝説の教授に学べ!』浜田、若田部、勝間共著