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「800字文学館」

鹿角(かづの)の城下 毛馬内

大月 和彦

 十和田湖に近い鹿角盆地に毛馬内(鹿角市毛馬内町)という小邑がある。かつては南部領で、津軽藩と佐竹藩に接し、近くに鉱山がある重要な地だったので南部藩は柏崎城(館=たて)を置き兵士を配置していた。南部氏の家臣毛馬内氏が初代の館主だった。鉱山物資の中継地や文化の中心地として栄えた。
 文化年間に毛馬内を訪れた菅江真澄は「毎月市が立って家数も多く、富んで賑わったところ」と旅日記に書いている。

 傾斜地でもないのにスイッチバック構造のJR花輪線十和田南駅から田んぼの中をバスで10分、突然軒が低く庇の深い商家などが並ぶ街が現れる。正月やお盆には店先に屋台のような出店が並ぶので「こみせ通り」と呼ばれる町屋が続いている。古く落ち着いた町並みだが歯が抜けたように空き地も目立つ。

 毛馬内は盆踊りでも知られている。8月中旬の3日間、街の中心に焚かれた篝火の周りに大きな輪をつくり、太鼓、唄に合わせて夜中踊り明かすという。重要無形民俗文化財に指定されている。
 菅江真澄が各地の民謡を集めた本に毛馬内の盆踊り唄を「大の坂の節」と記している。

 街の東の通りに武家屋敷が残っている。生垣に囲まれ、うっそうとした樹木の中にひっそりと重厚な屋敷がたたずんでいる。東北の小さな町とは思われない歴史と文化を感じさせる一劃だ。
 屋敷街の中に市立の先人顕彰館があった。世界的な東洋学者内藤湖南や、マスを放流し十和田湖開発に功績があった和井内貞行など毛馬内の生んだ偉人の業績が展示してある。湖南の少年時代、朝日新聞や京大教授時代の書簡や資料が面白かった。

 藩士の末裔という館長さんが高台の館跡を案内してくれた。慶長年間に造営された南部藩の館には「大手坂」や「搦手坂」も残っていた。夏草が茫々と茂り、老樹が空を覆う。石垣や天守閣跡はないが、荒れ果てた古城の様相だ。湖南の生家「蒼龍窟」が残されていて子孫の方が住んでいるという。
 毛馬内の町と鹿角盆地が一望できた。

(12・11・9)

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