白山麓東二口文弥人形
前月、会員から大鹿村歌舞伎の紹介を受けた。私も翌日、上野アサヒホールで、加賀白山麓東二口村に三百年続く文弥人形浄瑠璃を観た。これは現在十四戸、人口三十人の過疎地の村祭りで上演される。時に帰村応援を得て東京公演をしたが、演者不足で今年で遠出は打止めだ。
浄瑠璃は十七世紀の憂いの籠もる曲調『文弥節』、成長期の浄瑠璃の息吹を伝える貴重な存在だ。人形は一寸幅の肩板の中央に手書き頭の心棒を通し、右手はバランスの吊り棒、左手を扱って頭と体を語り手に合わす。肩や首を振り旋回、体を上下、足太鼓の強弱によって喜怒哀楽を演ずる力と速さは、通常文楽の三人使いと大違いで息を呑んだ。舞台は幅四m、高さ二mの型枠を黒布で覆い、下辺に巴紋が並び、右に「無形文化財東二口文弥浄瑠璃『出世景清』」と墨痕鮮やかな垂れ幕、中に十二人の演者が見える。太夫、二人の囃子は見えない。
主人公の頼朝を狙う豪力景清は、馴染の遊女阿古屋の兄十蔵に捕らえられた妻の小野姫に身代って牢に入る。二人の子を生した阿古屋への怒りに許しもせず、母は息子を刺し自刃する。この夫婦、兄妹の相克・呪いはシェイクスピア並みの語りであった。また源平の合戦では肩から頭まで全員一列に揃い、波のように動き劇的だった。
この時代は寺子屋もなく、村人全員で子供たちに人の道を教えたのだろう。最後に村から礼の祝儀『華ほめ』。人形が加賀の美しい花の数々を語って幕が下りた。演者は舞台から降り黒頭巾を解き、人形の仕組を説明し、自分の体と人形を一体化し前進後進の足取りで情感を表す『でくの舞』を丁寧に教えてくれた。
ホールを出、吾妻橋の左手に淡青なスカイツリー。ドライビルの奇怪な屋上、東京タワーの真赤な鉄骨と対比して日本沈没の三〇年を反省する。『かに道楽』に寄り「蟹づくし」で気分直し。予定表を見る。
春の『杉本歌舞伎』からの心に通う芸能巡りは、宮本ア紋『蝶々夫人X』、モンゴル馬頭琴『白い馬の物語』。体調を整え元気を得たい。
(二四・一一・二六)