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「800字文学館」

紅顔少年と白頭翁

池田 隆

 学校の同窓会も会を重ねるうちに顔ぶれがだんだんと決まってくる。それでも時折は卒業以来半世紀ぶりといった珍しい旧友がひょっこり現れる。先日も名札を見ながら、互いに顔を見つめているうちに誰だか分ってきた。あの偉丈夫で紅顔の美少年である。私の頭のなかの彼は当時のままであった。それが突然、玉手箱を開けた浦島太郎のような容貌で眼前に姿を見せたのだ。相手も私を見て同様な思いかも知れない。
 漢文の授業では彼と一緒であった。そのとき覚えた劉廷芝の古詩の一節がふいに浮かんでくる。

 年年歳歳花相似   年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年人不同   歳歳年年 人同じからず
 寄言全盛紅顔子   言(げん)を寄す 全盛の紅顔子
 應憐半死白頭翁   応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁
 此翁白頭眞可憐   此の翁の白頭 真に憐れむべし

 詩題「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代りて)が示すように若い劉廷芝は白頭の翁の気持ちになってこの漢詩を作った。
 私も今や白頭の翁であるが、他人に憐れんでもらうこともない。齢とともに学生時代には頭で理解しただけの古典文学や詩を心で味わえるようになった。人情の機微や社会の本質も読み取れるようになった気がする。
 若い頃公園でランニングしながら、ベンチで背を丸めひとり静かに座っている老人を見て、気の毒にと思ったものだ。このごろは私が座る側に替ったが、これがまた至福の時間である。
 劉廷芝の後日談だが、彼はこの名詩を作ったことで仲間から妬まれ、若くして殺された。翁の楽しみを知らずに死んで気の毒にと言うべきか、自分の詩の誤りを知らずに死ねたのはかえって幸せだと言うべきか。
 一方、年々歳々の対句の方は正鵠を射っている。私は毎年同じように春は桜や桃の花を、秋には紅葉を愛でている。その間にも親しかった人、お世話になった方の多くを鬼籍へと失い、代りに元気な孫たちに恵まれ、新たな大勢の友人や知己を得た。
 人生は出会いと別離に溢れ、さらに皮肉も満ち、まことに味わい深い。

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