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「800字文学館」

トルストイとノーベル文学賞

都甲 昌利

 昨年のノーベル文学賞は中国の莫言が受賞した。日本の村上春樹が受賞するのではないかともっぱらの噂だったが、惜しくも逃した。受賞しなくとも村上春樹の作品を愛する読者は世界中に多数いる。
 ロシアのレフ・トルストイも受賞者でないが、『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』など世界中の人々に読まれ、今も読まれている。作品の中に多くの人間像を創り出し、常に人間探求精神がみなぎり、我々に感動と勇気を与えている。

 先日、ロシア文学愛好者の集まりがあり、「何故トルストイはノーベル文学賞を受賞できなかったのか」が話題になった。
 ノーベル文学賞が創設されたのは1901年だ。トルストイが亡くなったのは1910年だから当然対象にはなったはずだ。

 理由の一つとして、作品が多数の言語に翻訳されなければならないということだ。19世紀末ではスラブ系の言語よりラテン系の英、独、仏の翻訳文学作品が多数を占めた。ちなみに初回と第二回目はフランス人とドイツ人だ。
 もうひとつの理由として、トルストイは『アンナ・カレーニナ』のような宗教的思想に救済を求めるような作品や、また『イワンの馬鹿』の様な世間の矛盾や悪に対する無抵抗の思想を説いたものが多いが、突如1898年『芸術とは何か』という論文を発表し、この中で自作を含む世界文学を全面的に否定した。スエーデンの選考委員会としては世界文学を認めない作家には文学賞は与えられないという心境だったに違いない。
 そして最後に、これが如何にも、尤もらしいが、「自分は未熟で賞には値しない」と言って辞退をした。そのため貴族夫人として面目を保つためお金が欲しかったソフィア夫人と仲違いをしてトルストイは家出をした。

 以来、百年以上も経過し世界情勢も変化した。ロシア人で最初に受賞したのはパステルナークで、以後ショーロホフ、ソルジェニーツィンと続く。いずれも冷戦時代のソヴィエト政権下で受賞となったのはなんとも皮肉なことだ。

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