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「800字文学館」

ブラジルへの旅

富岡 喜久雄

 オリンピック調査団はトルコで調査の後最終報告書を提出し、ブラジル後の開催地を決めることになるという。ロンドンが期待以上の出来だったから次のブラジルには行ってみたいとは思うが、何しろ地球の裏側だから行くだけでも大変だ。
 それでも在職中ブラジルは二度訪ねる機会があった。それは対照的な楽と苦の旅だったのである。

 一九八0年代の初めブラジルは、好景気だがインフレ気味で、毎月数%ずつ物価が上がり、それを後追いで政府のバラマキが追いかけている状態だったから、各自がインフレ対策に狂奔し、庶民は自己用、富裕層は投資目的にマンション購入が盛んだった。当時、勤務先がブラジルにも現地法人を設立していたから、某商社の企画に乗り、提携してマンション事業に乗り出したのである。リオ近郊各地の集合住宅は完売が続いた。嘗ての日本と同じく住宅ブームだったのである。

 現状把握と今後の戦略を確認するため出張することになり、ロスで乗り換え、そこからリオまで、殆ど一昼夜の飛行だったと思う。カーニバルの華やかさは聞いていたし興味が先行し、若さも手伝って長旅はちっとも苦にならなかった。
 着いてみると、アフリカ系混血の住むブラジルは滅法明るかった。気候と人種的差でもあり、サンバとフォークローレの違いだ。

 打ち合わせを早々に済ませて街にでると、コパカバーナはビキニ姿で一杯である。ムラータと呼ばれる混血娘はインディオ系のモレーナより大柄で肉感的。
 彼女らがビキニ姿で闊歩するのを見ると目が眩んだものだった。山頂に立つキリスト像に敬意を表し、さらに「黒いオルフェ」で名を挙げたスラムを眺めながら街に下れば、夜のクラブに色とりどりの美女が妍を競っていた。飲み疲れて帰ると提携先が用意した接待用のホテルは特大スイートで、大きなウエルカム・ブーケとシャンパンが届いているとくれば楽園だったと言わざるを得まい。
 しかし楽あれば苦ありで。次の旅は3か月後に巡ってきたのである。

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