万葉集のなぞ― 莫囂園隣(ばくごうえんりん)
ある大学の社会人講座で万葉集を聴講していて、この古典の深さや面白さが分かるようになった。当時の政治、権力者や民衆の感情や生活などが詠われているからだ。歌の鑑賞とは別に、面白いことが多い。
その一つ、万葉仮名で書かれた万葉集の訓(よみ)方である。
中世以来多くの研究者により、かなりの部分が明らかになったが、まだ訓みが定まらない歌がいくつかある。もっとも難しいのが巻1―9の歌といわれ、講師の先生はこの歌には関わりたくないと言われる。
紀伊の温泉(ゆ)に幸(いでま)す時に額田王が作る歌(幸干紀温泉之時額田王作歌)の題詞に、次の原文が続く。
莫囂園隣之大相七兄爪謁気
吾瀬子之射立為兼五可新何本
前半の13字が問題の句、訓みと意味が難しいのだ。
鎌倉時代の仙覚以来さまざまな訓み方が試みられているが、まだ定訓と呼べるものがなく、多くの解釈書は訓をつけていない。
後半は「我が背子(せこ)が い立たせりけむ 嚴橿(いつかし)が本」と訓まれ、意味もなんとなく分かる。
「莫囂園隣之大相七兄爪謁気」に試みられている代表的な訓みを挙げてみる。
①夕日のあふぎて問ひし(仙覚 万葉集註釈)
莫囂―閑寂の義、夕。園隣―月、満ち欠けする。大相七兄―仰ぐ。爪―手。 謁―問。
②紀の国の山越えてゆけ(賀茂真淵 万葉考)
園―国 莫囂園―さやぎなき国=大和の国。隣―紀の国。大相―大きな姿、山。七―古。爪―氏。謁―湯。
斉藤茂吉は『万葉秀歌』で「訓はほとんど不可能と謂われている」と匙を投げ、真淵説に従っている。
題詞から斉明女帝の紀伊行幸の時の歌であることが分かる。この間、有間皇子が謀反を疑われ、捕えられて紀伊から大和へ連行される途中磐代で処刑された。この難解句はこの事件に関係するからではないかとも言われる。
『万葉集全歌講義』(2006年、阿蘇瑞枝)では「紀の国の山を越えていく(ああなつかしい)私の愛するあの方がお立ちになったであろう神聖な橿の木の根元よ」の意としている。
万葉集は謎が多く、面白い。
(13・1・9)