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「800字文学館」

般若心経

池田 隆

 宗教への関心が薄い技術屋だったが、ふとしたことで仏教に興味を抱く。何事も現場に立ってから、という職業柄の習性で西国三十三所の徒歩巡礼へ向う。札所では神妙に経を唱えるなど、仏教の伝統所作に従う。
 家へ戻るとまたもや技術屋として、理屈で突き詰めたくなる。仏教の本質を知ろうと、手当たり次第に経典の解説書をかき集める。
 まずは般若心経を読む。阿耨多羅三藐三菩提とか、羯諦羯諦など、分らない言葉が沢山出てくる。解説書を読んで梵語の音訳と分り、いささか納得するが、内容の殆どはさっぱり分らない。
 とくに「色即是空、空即是色」には頭を捻る。解説書によると、「形あるものは即ち実体なきものであり、実体なきものは即ち形あるものである」との説明。仏教の本義である「無常」を述べているらしいが、何のことやら。そこで自分なりに思考を巡らす。
 思い浮かんだのは無常観を述べているという方丈記の冒頭部分である。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。云々」
 流体力学を学んだ者には水の流れに譬えてもらうと、すぐに色即是空が無常観だと分る。さすが鴨長明。
 形、すなわち「色」をなして存在するように見える泡や渦は取り出すことができない。泡や渦は実体のない「空」である。不変な実体は水の粒子間で成り立つ運動方程式、すなわち一つの論理的な関係である。
 仏教ではこの関係を「因縁」と呼ぶ。逆に流れる粒子間に「因縁」が有れば、実体のない所に泡や渦といった形、「色」が現れる。これが色即是空、空即是色の意味なのだ。
 水の粒子を、たとえば私の身体細胞を構成する原子に置き換える。すると自分と思っている身体「色」は時々刻々変っており、不変の実体ではない。自分の実体は身体「色」を仮有として導く論理関係、「因縁」の方である。

 …と講釈を述べたところ、傍らの悪友曰く、
「頭でっかち! 色は空しいさ。女との因縁なんて」
「ウーンそうか、般若心経は意味深長だ」

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