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「800字文学館」

なぜ「心の貧しい人々」は幸いか

野瀬 隆平

 世界一のベストセラーが「聖書」であるというが、キリスト教にうといので、よく理解できないところが沢山ある。その一つが、キリストが群衆を前に弟子たちに語りかける、山上の垂訓の最初の箇所だ。現代語訳では、「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」とある。
 心の豊かな人の方が天国に近いと考えるのが普通だが、そうではないという。しっくりしないので、念のため英語のバイブルを見ると、
 Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.となっていて意味は同じだ。
 この言葉から『歎異抄』に書かれている、「善人なをもて往生をとぐ ましてや悪人をや」を連想し、これと同じような逆説的な言い回しなのだろうと勝手に解釈していた。

 最近、この意味が少し解るような書物に出会った。それは、ユージン・ピーターソンという人が、ヘブライ語、ギリシャ語で書かれた聖書の原典を忠実に英訳したというThe Messageと題する本だ。その訳文はこうなっている。
 You're blessed when you're at the end of your rope. With less of you, there is more of God and his rule.

 元の表現がどうなっているのか分からないが、the poor in spiritのところが at the end of your ropeと訳されている。綱でつながれた動物がそれ以上先に進めない様子から、「進退窮まった」という意味の慣用句だ。
 要するに、切羽詰まった状況に追い込まれた人は……、という解釈である。この本を紹介してくれた知人のHさんは、「もう自分ではどうしようもないと思うそのとき、神の存在とその統御が、あなたにとってますます重要な意味を持つようになる」と解説してくれた。
 そしてHさんは、こんな話を思い出したという。悟りを開けずに悩んでいた禅の修行僧が、山で仙人に出会いその方法を尋ねたところ、仙人は谷に向かって張り出した木の枝にぶら下がれという。まだ悟りが開けずもう限界だと思ったとき、「枝からその手を離しなさい!」といわれ、両手をぱっと離したその瞬間に悟りが開けた。

 禅宗もキリスト教も深い所で繋がっているのだと思った。

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