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「800字文学館」

古都の年末年始

稲宮 健一

 年末年始は古都の大晦日と新年を味わった。年の終わり、昼は「いづう」の鯖ずしを頬張り、夜は昔お公家さんが愛した「いもぼう」で鱈と里芋の煮つけを賞味した。鯖ずしはかつて若狭湾の取れたての足の早い鯖を酢でしめて、都に急送し、活けで味わう魚料理が始まりだ。鯖の厚い身が酢飯に食い込むように押し付けられて、二つの合わさった味が絶妙だ。また、享保年間からの伝統料理、京の里芋と棒鱈を合わせ炊き上げた「いもぼう」の煮物はあっさり味、お公家さんが舌鼓を打ったほどの感激はなかった。腹ごしらえのあと、初詣の準備でにぎにぎしい灯りで照らされ、大みそかの護摩木が焚かれている八坂神社に参拝、ご神火から「をけら火」をもらい、くるくる回し、大晦日を一日都人で過ごした。

 元旦はホテルの用意したおせちを頂いた後、初詣バスで北野天満宮、下鴨神社、平安神宮の順で参拝した。鶴岡八幡宮ほどではないが、参道は人で一杯の賑わいであった。
 明くる日は伏見の稲荷大社と、奈良の東大寺に出かけた。お稲荷さんは稲作の神、転じて、商売繁盛を願う土着の神として祀られていて、社殿の裏はお稲荷さんが降誕した神聖な稲荷山。願掛けに寄進された千本鳥居が稲荷山頂上に向かう参道に隙間なく建てられ、正に朱の鳥居のトンネルだ。

 それぞれの神社仏閣には由緒ある起源があり、祀ってある神々は神話の世界、厄病からの魔除け、死霊の鎮魂、都の守護、豊年万作、商売繁盛に由来する。しかし、初詣の善男善女は各々の社の発願に向けて祈念するというより、年の始めとして、明るい年で過ごせるようにと何か漠然とした、日常生活から超越した神仏に対して手を合わせているのだろう。
 よく日本に宗教がないと言われるが、これが現代の日本教だと思う。
 世界には曖昧さのない教義で、信仰を仰ぐ宗教が多い。しかし、自分の教義のみが真理であって、他は認めないは困る。それぞれの教義と信念をお互いに尊重し共存して欲しい。

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