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「800字文学館」

餅つき

大平 忠

 大学を卒業するまで、父母と一緒に世田谷・東玉川の家に住んでいた。昭和の初めに建てられた家を戦後に父が購入したものである。家財道具で目ぼしいものは無かったが、古い立派な木の臼と杵があった。これは、出入りの植木屋の爺さんと話していて、出物があると聞き、母がためらわずすぐ買ったものである。母はただ「お餅をついてみたくなっただけ」としか言わなかった。父は、なんでそんなもの買ったのだと呆れていた。私が高校へ行って兄二人も家を出てしまっていたときである。恐らく、母は自分の子供の頃を懐かしんでのことだったのであろう。
 私がつき役だった。餅をつく「ぺったん」という音が意外に大きいので驚いた。ご近所にも聞こえた筈で、母はそれをちょっぴり恥ずかしがった。正月とか、春の蓬の季節とか、縁側から出て庭先でやる餅つきは、結構楽しかった。
 その後、この臼と杵が、思いのほか活躍したのである。長兄が父母と同居するようになり、あるとき会社の同僚を引っ張ってきて餅つきをやった。これが評判になったらしい。仲間が次々やって来て義姉は大忙しだったようだ。そのうち、兄二人の子供たち、しばらく経って、我が家の子供たちも参加するようになり、にぎやかな餅つき大会が行われた。
 母は、孫たちが喜ぶのを見てご満悦であった。故郷の四国では、雑煮の中に餡の入った丸餅を入れる。孫たちは白味噌に餡入り丸餅の雑煮を珍しがった。ところが母は、実は切餅を入れるすまし汁の東京風が好きだったから不思議である。
 今、世田谷の家も父の代から数えて三代目、甥が一家の主である。家も建て直し、縁側が無くなって、餅つきをやれる構造ではなくなった。甥も餅つきを好きだったが、最近は、やっていないようだ。
 昨年の暮に、知り合いの大工から、自分でついたという餅を送ってくれた。市販のものに比べると、伸びがあり、色もいい。杵の音、臼の中でこねる音が聞こえるような気がした。丁重に礼を言った。

(平成25年1月31日)

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