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「800字文学館」

團十郎の最後の舞台

都甲 昌利

 歌舞伎俳優・第十二代市川團十郎が亡くなったニュースは日本全国を駆け巡った。亡くなったのは今年の二月三日、最後の舞台が昨年十二月十七日、中村勘九郎襲名が行われた京都・南座であった。素人歌舞伎ファンとして、この一日前に最後の舞台の團十郎を見ることができたのは、幸運の一語に尽きる。

 私は十二月十六日午後四時南座の観客席にいた。この日、團十郎が演じた役は「歌舞伎十八番船弁慶」の弁慶役だ。静御前を演じたのは勘九郎。江戸時代から続く中村家の伝統芸は「荒事」だ。勧進帳の弁慶は安宅の関で機転を利かせて義経を逃がし、勇躍あとを追う。手足を跳ね上げながら「飛び六方」で花道を急いで幕となる。この荒事はいわばお家芸だ。しかし、この日は團十郎の体力を気遣ったのか、「船弁慶」の弁慶役。能の船弁慶を素材にしているので動きの静かな役だ。今思うと気のせいか何か精彩を欠いていたように思えた。案の定、翌日の十八日、南座は「團十郎が体調不良のため本日より当分の間休演します」と発表があった。最後の体力を振り絞って演じた役者魂には頭が下がる。この休演を最後に再び舞台に立つことはなかった。

 急性骨髄性白血病で倒れたのは平成十六年、これ以後、入退院を繰り返し舞台に復帰して、パリ公演など九年に渡り歌舞伎界のために尽くした。

 三年がかりで建て替え中の歌舞伎座も四月二日に開場する。こけら落しに出演することを楽しみにしていたという。江戸歌舞伎を代表する市川團十郎と上方歌舞伎の代表、坂田藤十郎が揃って舞台に立つことになっていた。無念さが伝わってくる。

 昨年十二月に中村勘三郎を失った。今年、團十郎だ。二大支柱を失った今後の歌舞伎はどうなるのだろうか。幸いに勘九郎、巳之助、海老蔵という芸達者な息子たちがいる。しかし、父親たちの芸に達するには時間がかかる。大物役者を失った損害は大きい。新装なった歌舞伎座の存在で再び活気を取り戻せるか、今年の歌舞伎界は正念場である。

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