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「800字文学館」

戦争は単純な「悪」で片付かない

稲宮 健一

 ある会合で、最近街中の若い人の会話を聞いていたところ、日本が戦争したことや、ましてや相手が米国であったことさえ知らない人がいることに驚かされたとの話がでた。そこで、戦争を知っている皆様にアンケートに協力してもらい、回答を情報誌に載せ戦争の悲劇を後世に伝えたいと用紙が配られた。
 このアンケートの質問に戦争は「悪」と思うかとの問があり、違和感を覚えた。当然、質問者は「悪」に丸印を付け、悪いことはしてはいけないと主張したい主旨のようだ。しかし、そう単純に定義しては議論が深まらないし、戦争を考える切っ掛けも失われる。

 筆者の意見は、戦争を起こしてならない、もし、起きたら終結に最大の努力をする意識を国全体が持つことが重要だと考える。日本は交戦権を放棄しているので、自分では起こさないが、周辺の国々は普通の軍隊を備えており、戦争に巻き込まれる可能性はゼロではない。さらに言うならば、戦争の一番の悲劇は戦争を止められず、殺戮が止まらない状態であると思う。

 例えば、日露戦争のときは旅順で激しい戦闘が行われている最中に、米国を仲介に講和へ持ち込む交渉が行われていた。和戦両様の構えで世界情勢を的確に見極める政治判断ができた。しかるに、太平洋戦争では五・一五、二・二六事件に代表される軍人による言論への弾圧が軍部独走のはしりになった。帝国議会では斉藤隆夫が二・二六事件で軍部の批判の舌鋒を陳述したものの、その後の軍部の独走は止まらず、戦争に突き進んだ。戦争の後半は、戦争遂行が目的になり、最後まで軍人は止める発想を封殺した。

 最近の情勢では、隣国は自由な言論が抑圧されている。国が経済的に離陸するとき、国民が一つの方向に向かう方が国として力が出せる。しかし、離陸した後は、賛否両論の自由な、かつ闊達な意見交換を議論して、チェック・アンド・バランスを働かせ、一方的な暴走が起こらない仕組を持つことが国の責任である。

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