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「800字文学館」

薪割りの快感

池田 隆

 サラリーマン家庭で育ち、子供の頃に薪割りをした覚えはない。ところが中年になり、ふとした事から、物好きにも都会の自宅に暖炉を取付けた。すると当然ながら、薪が要る。
 薪材は廃材処理業や植木業を営む知合いから工面した。新たに金物屋で2㎏の鋼鉄刃のついた長さ90㎝の斧も買ってきた。
 廃材屋さんから貰う柱材や2x4材の余材は節もなく、割るのに苦労はない。
 問題は植木屋さん等から入手する太い丸太である。長さ50㎝、直径30㎝ほどの太さの丸太でも木目が素直に通っていれば簡単だ。斧を頭上から中心に目がけて振り下ろす。うまく決まれば、見事に二つに割れ、左右に飛び散る。その瞬間の爽快さは譬えようもない。
 強敵は節くれ立った奴、木目が狂ったように捩じれた奴、木質が物凄く硬い奴である。どこか人間相手にも似ている。
 入念に木目や節の位置を調べ、自然に出来た小さな割れ目を探し、斧を打ち込む箇所を決める。当る刃先が数㎝ずれても駄目である。刃の重みに任せて、頭上から無心に振り下すのがコツ。ゴルフのバンカーショットの要領だ。
 しかも一回で割れることは稀で、同じ個所に数回以上も命中させる技能が要る。最も困難なのは刃が丸太に食い込み、抜けない時や、逆に木が固くて撥ね返される時である。中心部に直接打ち込むのを諦め、端の方から少しずつ削ぐように落していく。
 一つの丸太に数十回も斧を振り下して、ついに割れた時に味わう勝利感と達成感は、平和時の現代人には貴重な経験である。それは知力、技能、体力、精神を統一した作業の成果と言える。男の腕力も必須だ。冬の寒風下でも、半時ほどの薪割りで肌から湯気が立ち上るほどに、身体が火照る。
 ITの普及や暴力禁止の社会風潮で、男性が肉体的な闘争本能を発揮する場は、特定のスポーツに限られてしまった。パソコンや携帯に没入し、マネーゲームなどに熱中する男たちを見ていると、彼らにも、ぜひ薪割りの快感を味合せたい。

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