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「800字文学館」

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」vs 忠臣蔵

池田 隆

 アルカイダの最高指導者 オサマ・ビンラディンの殺害計画を描いた米映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を観た。CIAの有能な情報分析官である若い女性「マヤ」が主人公である。
 2001年の9.11事件以来、米国の政府と国民はアルカイダ撲滅を最重要課題としてきた。2011年5月2日の午前0時30分、殺害に成功する。題名はその時刻に因む。物語は事実情報に基づくという。
 アルカイダ関係者への拷問や人工衛星からの写真分析など、CIAはビンラディンの居場所を執拗に特定していく。主人公は使命感に燃え、身の危険も顧みずに現地の危険地帯へ飛び込む。必死に上司の説得にも当り、自分の推理を押し通す。
 最後は米国人好みのハッピーエンドである。ただ私にはその最後の数分のシーンが強く印象に残った。目的を果したマヤに帰国用の軍用機が特別に用意される。それに乗り込んだ彼女の顔は何とも無表情である。ガランとした機内の兵士用座席に一人だけ、周囲に成功を称え合う仲間もいない。
 マヤを演ずるジェンカ・チャスティンは性格俳優として見事だ。使命を終えた時の達成感も、虚脱感も見せない。キャスリン・ビグロー監督もこのシーンに自分と米国民の複雑な思いを凝縮させている。私も同じ暗い思いに駆られた。

 時代も国も違うが、忠臣蔵は復讐劇としてこれによく似た筋書きだ。年末の恒例行事のように舞台やテレビで演じられ、今なお人気を博す。目的を果たした四十七士は華々しく、死を前にして晴々とした顔つきである。観る側もつい拍手したい気持ちとなる。

 映画館からの帰途、両者の違いは何故だろうと考えこむ。テロ撲滅を旗印にしながら、テロ行為で復讐した偽善のせいか。相手の活動がこれで終結しないせいか。手段としての拷問が醜悪なせいか。イスラム側へも心の奥で共感を覚えるせいか。
 最大の理由は、四十七士の動機が時空を超えた普遍的な思想、「忠義」であるのに対し、CIAが国家の覇権維持という利己的な目的で活動しているせいに思えてきた。

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