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「800字文学館」

ブラジルへの旅 そのⅡ

富岡 喜久雄

 ブラジルは日本からは地球の裏側に当る。その遠いブラジルには二度訪ねる機会があった。一度目は長旅だったが、その末に未経験の楽しみが待っていてくれたのだが、二回目の旅は神経の休まらぬ苦難の旅だった。

 最初のブラジル訪問から3か月後、彼の地に商社と合弁で設立していた現地法人へ派遣していた社員が、交通事故で急死したとの連絡が入った。当初、事故の詳細は判らなかったが、商社員と二人で行ったゴルフ場からの帰りで、深夜の自損事故だったとのことで、運転者はどちらか判らない程の酷い状態だと言う。早速留守宅に電話すると、母親の声がひどく震えていた。
 そこで、「詳細は不明ですが深刻な状態のようです。しかし、明朝再度確認の上、状況が分かり次第、また電話します」と伝え一旦電話を切った。
 明朝の電話では、親族も覚悟が決まった様子で、落ち着きを取り戻したような応対だった。早速、南米各地に派遣している社員をブラジルに呼び集め、現地の処理を担当するよう指示して、自らも現地へ飛ぶことにした。

 それからは現地での手続きや葬儀、遺体搬出、その為の日本の家族のアテンドと慌ただしい時間が続いた。サンパウロでキリスト教での葬儀を済ませて、日本へのご遺体輸送の陰鬱な長旅となったのである。サンパウロからバリグ航空でニュウヨークへ、そこからJALに積み替えてアンカレッジ経由で日本へ。
 成田でご遺体が無ければ大失態だから気が休まらない。ニュウヨークでの機体変更時は、ご遺体の積み変えを確認せねばならず、担当係りを探して見知らぬ空港を歩き回り、早口のアメグリッシュが聞き取れず、自らエプロンまでご遺体確認に行かねばならなかったし、アンカレッジではJAL便の変更があり、此処でも係りやパイロットにまで確認して廻った。さらに、引率した家族の不慣れな旅故の悲喜交々のトラブル発生と、正に二度目のブラジル行は、一回目の旅の楽に数倍する苦の旅だったのである。

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