歴史は終わらない
フランシス・フクヤマ著「歴史の終わり」を読んだ。一九八九年ベルリンの壁が崩壊した直後に専門誌に投稿した記事を基に、二年間かけて熟慮し完成した大著である。粗筋は西欧が王朝支配から立ち上がった、フランス革命、アメリカの独立戦争を支えた西欧の啓蒙思想家、ホップス、ロック、ルソー、ヘーゲル等の考えを背景として、アングロ・サクソン系の功利主義、ドイツ観念論の気概、優越願望の実現などを旗印として争われた国家間の生存競争の展開を欧米の立場で論じたものだ。この競争過程の中で、ナチズムや、ソ連を中心とする共産主義に自由を旗印とした民主主義、プロテスタントの進取の気勢と、自由な経済活動を許す資本主義が打ち勝った。この啓蒙思想は今日の米国を中心とする民主主義国家の姿で終着点に達したとして、「歴史の終わり」と題した。
一九九二年の出版から早くも、二十年近い歳月が流れた。フクヤマはこの後、世界の統治は自由な民主主義と資本主義が最終の形態になり、国家の統治に関わる大きな争がなくなると予測したが、争いの歴史は終わらず、予測は外れた。フクヤマの思考は、人に例えれば大脳が司る理性によって構築されたもので、無意識のうち人の活動を左右する小脳の感覚がこの検討に抜けている。即ち、古代からの人々に染み込んでいる宗教や、王朝支配の統治の柵が人々の頭の底辺にうごめいているのである。
ベルリンの壁崩壊後、世界に出現した動きは、タリバン等のイスラムの原理主義に基づく非寛容な集団であり、東洋的な王朝統治の名残が抜けきらない民情に共産党支配下での国家資本主義などが非欧米の世界で広がっている。今後世界の経済活動の主要部を担うアジヤについても述べているが、西欧の啓蒙思想のような整然としたものはない。
この著書では、武士道と、長い稲作農業で培われた協調精神は明治維を支える基本になっていたことは認めるも、アジア全般に関しては考察不足である。