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「800字文学館」

新宿通り(新宿から四谷へ)

都甲 昌利

 新宿伊勢丹前の地下鉄丸ノ内線・新宿三丁目から新宿御苑を経て四谷三丁目に至る道路は新宿通りと呼ばれる。

 この新宿通りを歩いてみると、散歩には程よい距離にも拘らず、かなりの時間を費やしてしまう。表道通りは近代的なビルが立ち並びレストランや商店が軒を並べている。しかし一歩裏通りを入ると静かで江戸時代の遺物が多く残っている。御苑駅の裏に新宿区史跡指定の浄土宗太宗寺がある。寛永六年(1596年)創立。徳川家の重臣・信濃国高遠藩主内藤氏の菩提寺で、新宿御苑の中には内藤氏の下屋敷があった。太宗寺で興味を引くのは都内最大の閻魔大王像と大きな奪衣婆像が安置されていることだ。閻魔様はウソをつくと舌を抜く怖い人物で、奪衣婆は死者が三途の川を渡る前に、死者が美しく着飾ったり贅沢な着物を着ていると、はぎ取り地獄行き、質素な衣装を着ていると極楽へと采配を振るうバアサンだ。奪衣婆の形相は凄い。幼児が見たら怖がるだろう。江戸時代の親は小さな子供をよくここに連れてきて教育をしたという。

 太宗寺から更に四谷方面に進み、四谷三丁目駅を過ぎると左手に車力門が表れる。新宿通りから靖国通りに通じる道は「津の守坂通り」という。江戸時代美濃高須藩松平摂津守の上屋敷があったことから名付けられた。高須藩主の守護神の金丸稲荷神社は現存している。この付近は荒木町と言い江戸時代の遊興地、現在は割烹、レストラン、バーなどが目白押しだ。今NHKの大河ドラマ「八重の桜」に出てくる会津藩主松平容保は荒木町十九番地の一で生まれたと新宿区の歴史資料に出ている。

 ブラブラ歩きも疲れてきたが、「須賀神社参道」と書かれた標識を頼りに歩くと、須賀神社が表れた。天保七年(1836年)に創立、江戸期には五大祭りの一つに数えられた祭りを持つ。三十六歌仙絵が奉納されている。

 もう、かなりの時間を費やした。再び新宿通りに出た。辺りは薄暗くネオンが輝き始めた。江戸期代から現代に戻り、安堵と寂しい気分になった。

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