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「800字文学館」

企業ОBからの助言 「黙認と処罰の境」

池田 隆

 路上に落ちているお金を見つけた時に、どのような行動をとるか。一円玉ならば、大人の多くは無視するだろう。十円玉ならば、ひと目をさけて拾う人が増える。百円玉や千円札の場合は他人が居ても、かなりの人が決まり悪げに頂戴する。ところが一万円札以上になると、警察に届ける人がさすがに増えてくる。
 カントは盗みとか虚言といった行為は絶対悪で許せないと言う。しかし実社会の善悪の基準は曖昧で、グレーゾーンの幅が広い。グレーゾーンの或る点の左は黙認され、右は処罰の対象となる。
 その境の位置は時代や国によって大きく変わる。極端な場合は戦争や革命によって左右の善悪が逆転することさえ有る。伊藤博文は日本では紙幣になるほどの元勲であるが、韓国では彼を暗殺した安重根が国家の英雄である。
 場所や社会情勢が少し変わっただけで、それまで黙認されていた事が厳しい処罰の対象になる。普段から気をつけねばならない。数十年前までは大目に見られていた酒帯び運転などがその例だ。
 会社の不祥事が明るみに出て、社長や役員が起立し、雁首揃えて頭を下げる報道をよく目にする。彼らの弁明は「世間を騒がして、云々」、顔つきは「前任者も皆、同じような事をしてきたのに、俺は貧乏籤を引いた」と言わんばかりだ。問題を世間のせいにしている。
 これもグレーゾーンの境目が微妙に変ったことに、彼ら自身が気づかなかったか、手を打たなかったせいである。自らの愚かな迂闊さを認識していない。
 こちらの調子が良いときには、世は多少の事を黙認し、褒め称えてくれる。しかし一旦、風向きが変わると、ストンと落して喜ぶのも、また人の習性だ。マスコミはその火に油を注ぎ、得意満面となる。

 漱石の言葉を借りる。「人の世は住みにくい。しかし人でなしの国はなお住みにくかろう」
 黙認と処罰の境界の微妙な変化を、他人に頼ることなく、自ら早めに感知して行動することが、住みにくい社会を生きる知恵である。

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