震災遺構と奇跡の一本松
東北地方へはよく旅行するが、3・11以降、三陸沿岸へは行ったことがない。
「被災地へ行って実態を知り、直接励まそう」と呼びかけが行われた。行っても足手まといになるだけで、結局観光客として被害地を訪ねるだけの旅になってしまうのが、怖かった。
あれから2年、いくらかは片付いたとはいえ、被災地で建物跡だけの市街地を見、仮設住宅に暮らす人たちの話を聞くなど、現実を直視する勇気はまだない。
忘れたころやってくるという天災に備えるためには、被害の記録や記憶を風化させないで後世へ引き継ぐことが必要とされる。
昭和三陸地震の津波に襲われた沿岸の各集落には、人目のつく場所に「地震があったら津波に用心」など分かりやすい標語が彫られた記念碑が建てられた。今回もその教訓が活かされたという。
津波の恐ろしさを忘れないため、心の傷にもなっている被害の爪跡をどう残すかが議論されている。炎上した小学校の校舎、骨組みだけ残った市庁舎、市街地に打ち上げられた漁船など、解体か保存かの賛否は分かれている。広島の原爆ドームのような存在感のあるモニュメントが欲しいと思う。
多くの話題を呼んだ陸前高田市の「奇跡の一本松」の場合はどうか。
白砂青松の景勝地にあった7万本の松が跡かたもなくなぎ倒され、一本だけ残った。そのけなげな姿に感動し、勇気を与えてくれたと感謝の声が多かった。「守る会」が作られ、バイオ技術を動員して蘇生を試みたが、枯れてしまった。
市は、レプリカとして残すため1億数千万円かけて工事を進めている。くりぬいた幹にカーボンの芯をいれ、樹皮はプラスチック製、枝と葉はガラス繊維で作るという。高さ17mの模造品の松が近く完成する。
メディアは地元の人たちの声として「松が生き返ったようで感激」、「心の支えになる」などと伝える。本当なのかと思う。
被災者の気持ちを軽々に忖度出来ないが、海岸に一本だけ立つレプリカの松に違和感を覚えるのは私だけだろうか。
(13・4・25)