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「800字文学館」

村上春樹氏が久々の長編小説

都甲 昌利

 村上春樹氏が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と云う長いタイトルの小説を出版した。人気作家のため出版社は売り切れる恐れがあり、早めに購入をと読者を促した。テレビニュースも行列している光景を報道していた。
 数日経て、新宿の紀伊国屋書店に行って見たが、多数平積みされて行列はなかった。それでも百万部を突破し品薄だと言う。
 確かに彼はノーベル賞候補にもなり日本のみならず、世界各国にファンがいる。書籍も売れている。

 数年前、ある雑誌で作家の曽野綾子氏が、発行部数が作家の価値を決定するのは、文学界に権威主義を蔓延させるので、文学の本質を見誤るものだと書いていた。そして村上春樹がエルサレム賞を受賞した際、エルサレムで行ったスピーチを強烈に批判した。もともとこの賞には政治色が強く、村上氏が受賞することは、イスラエルとパレスチナとの紛争を激化させるとして日本でも反対していた人達がいた。

 村上氏のスピーチは「『高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとすれば、私は常に卵側に立つ』。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。しかし、もし壁側にたって作品を書く人が居たらその作品にいかなる価値が見出せるでしょうか?」と。
 これに対して曽野氏は「壁の側にも同じ程度の人間性があり、イデオロギーで作品を書くべきでない」と反論した。文学の世界においては作家は広い視野を持って自由に書くべきと言うのもうなずける。

 この二人の論争は非常に大切なことを示唆している。文学の世界に限らない。政治の世界でも、ジャーナリズムや学会の世界でも卵側に立って発言している者と壁側に立って発言している人が居る。見分けることが重要だ。
 私はこれまで『ノールウエイの森』、『ねじまき鳥クロニクル、』『1Q84』しか読んでないが、難解だ。『色彩を・・・』は書店でパラパラとページをめくったが、すらすら読めそうだ。

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