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「800字文学館」

歌舞伎座といえば

中村 晃也

 新歌舞伎座の開場は四月二日。三月二十九日には、猿翁や藤十郎をはじめとした関係者総勢二百名が勢ぞろいして「古式顔寄せ手打式」がおこなわれた。

「歌舞伎といえば高校時代、もう五、六十年も前だけど、こんなことがあったよ」と高校のクラス会で渋川が述懐した。
 音キチの三浦某が最新式のレコードプレイヤーを購入したので、恵比寿近くの彼の家で、ベートーベンの第五交響曲が、指揮者によってどう違うか比較しようという、かなり生意気な計画をたてたものだ。
 どうにか工面して、ブルーノ・ワルター、ウイルヘルム・フルトベングラー、ウイリアム・スタインバーグそれにヘルベルト・カラヤンの第五が集まった。
 みんな一端の音楽評論家になった気分になり、別れる時になって、三浦が「おい、こんなキップを拾ったんだけど、誰か行かないか?」と取り出したのが、歌舞伎座の二人分のチケットだった。
「歌舞伎なんか見たこともないけど、勉強のために行ってみるか?」と吉田と渋川が応じた。

 当日、案内された席はなんと前から二番目の、花道に近い席だった。周囲を見回すと男性は黒紋付、女性は高価な和服を着こなした人達が、親しげに挨拶を交わしている。
「なんだか場違いなところに来たなあ」と話合っていると劇場の支配人がやってきた。
「失礼ですが、お二人はどこでこの席の入場券を入手されましたか?」
「友達が拾ったキップを貰ってきたのです」と正直に答える。
「ご友人はどの辺りで拾われたのですか?」
「たしか恵比寿駅の近くだときいています」
「ああ、それで分かりました。実はここのお席は成田屋さんのご一統様が一括購入された席で、お二人様が入場券をどこかで落としてしまったといわれているのです。もしよろしかったら、別に良いお席を用意いたしますので、お移りいただけないでしょうか?」

 歌舞伎座の一階中央後部の席で、舞台に飽きた二人は「ここで第五のタクトを振ってみたい」などと見果てぬ夢を語り合ったとか…。

平成二十五年四月

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