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「800字文学館」

毛利氏庭園

稲宮 健一

 連休前の新緑の時期に山口県防府市にある毛利氏庭園を訪れた。JR防府駅からバスで十分程、小高い山を背景に瀬戸内の海が見通せるところに二万五千坪の広大な庭園がある。園内には一二〇〇坪の旧毛利家本邸が構えている。

 お城の門を思わせる堅牢な表門を抜けると広い道がある。新緑の楓に覆われ、木々を通った柔らかい光が射し込む長い道は入園受付まで続く。本邸は木造二階建、選び抜かれた木曽の檜、屋久島の神大杉、台湾の欅などの銘木、良材を使ったがっちりとした躯体、広い間取りと、高い天井、廊下まで畳敷きの御殿造りの純和風建築である。室内から広い庭園を眺めると、浩々とした殿様気分が味わえる。屋敷の前に芝の広場があって、そこから瀬戸内の青い海が見え、向うは池、錦鯉、東屋と庭木がそれなりに植えられた日本庭園である。大正、昭和天皇もご宿泊されたとのこと。もっと知られていい観光施設だ。

 造園は維新の元勲井上薫が奔走して、旧藩主のため、明治二五年(一八九二)に建設計画を決定、大正元年(一九一二)着工して完成した。一平民から見ると、実に豪壮な庭園であるが、明治維新の立役者を多数輩出した長州藩の旧藩主がこの程度の資産の贈り物で良く抑え込まれたものだ。

 旧藩主と言えば、明治初期に爵位と引き換えに廃藩置県が混乱なく行われたものだと思う。権力者の既得権の放棄は下手をすると、内乱を招く。世界では古い既得権の放棄は、血で血を洗う内戦を経ないと達成できない例が多い。トインビーは明治維新の戊辰戦争があったものの、無血革命に注目して、大乗仏教の影響ではないかと書いている。平家物語の冒頭で謳われているように、資産に対する執着が他国に比して、薄いのかも知れない。あるいは資産を持ち出して、他国に移住しようとする考えがないのかも知れない。

 若いとき海外で活躍した人たちの多くが、故国に戻ってきて、落ち着ているのも何か共通の感覚があるのではないか。

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