競争力の国際比較
アベノミクスの効果なのか、あるいはアメリカ経済の影響なのか、ここ数か月で円安が急速に進んだ。停滞していた日本の経済もやっと良い方向に動き出したかに見える。しかし、この急速な円の下落については、マイナス面を捉え危惧する人もいる。円安で輸入品のコストが上がり、関係する業者が悲鳴をあげていると。
しかし、思い起こしてみよう。ほんの5年ほど前、1ドル110円程度だったのが、円高に進んだ折に何といっていたか。このまま円高が進むと、日本は輸出競争力を失い、経済は壊滅的な打撃を受けると。当時、円高で得をしていた人たちは、口を噤んでいただけなのだろうか。長期的な流れや絶対値を見ずに、瞬間の動きや数字だけを見ていると判断を誤る。
ところで、通貨の異なる国の競争力を比較するのは難しい。変動する為替レートで換算して比べるのは、あたかも伸び縮するゴムの物さしで計るようなものだ。競争力のあったものが、尺度次第で急速にその立場を失ってしまう。固定した尺度があるスポーツの世界では、あり得ないことである。経済においても何か良い尺度は無いものだろうか。そこで思い出したのは、昔、造船業の国際競争力を比較した時のことだ。同じ船を造るのに、どれだけの工数(時間数x人数)が掛かるかを、国ごとに比較したのである。為替レートに左右されないところで、その国の実力を比べることができた。
通貨危機を回避し、為替変動に左右されない安定した経済取引が出来るようにするために、例えば、一定の労働時間・価値に見合った通貨?の単位を国際的な取引の基準とすることは出来ないだろうかと、半分妄想めいたことを考えている。そのような目で、過去に学者が研究した貨幣論を少し覗いてみると、似たような「労働貨幣」あるいは「時間紙幣」という概念を唱えた学者もいた。しかし、マルクスもこの提唱に反論を加えるなど、とても素人の手におえる範疇の問題では無さそうだ。