橋下大阪市長の発言と日中・日韓問題
韓国の慰安婦問題で橋下市長の言動が日本のみならず世界的な反響を呼んでいる。連日、新聞やテレビが報道し賑やかだ。
一連の騒動を見て私は数年前に東京大学に客員教授として招かれたフランスのパリ大学教授のアラン・ブロサ氏のインタービュー記事(朝日新聞2006.2.21)を思い出し再読しいろいろ考えさせられた。
彼は「仕返し主義」と言う概念で日中・日韓のぎくしゃくした問題を述べている。仏語ではmimetismといい、自分のしたことを条件反射的に相対化し「わが国だけが悪いわけではない、他国もやっている」という論理である。彼の説明はさらに続く。校庭で子供たちが喧嘩をしていた。「どっちが先にやったんだ」と先生が二人に尋ねる。「あっちです、先生」双方から同じ答えが返ってくる。
日中・日韓問題で公然と繰り返される日本の政治家の問題発言はまさに「校庭シンドローム」と言うべき低次元のレベルだと思いませんか。「アジアで植民地支配を始めたのは、日本人ではないのに、やはり日本人が悪者にされる」。「確かに殴ったかもしれないが、僕らは殴り返されたじゃないか」と侵略戦争を正当化する。
過去を巡って同じ敗戦国のドイツと比較して、西ドイツでは六十年代に、若者たちが「父親たちが何をしたか」を問い詰めることを通じてmemitismから大きく転換した。そして、ドイツ人の名においてナチス政権下でなされた戦争犯罪の責任を引き受け、このことが政治的指導者や国民の圧倒的多数に支持されたという。日本において戦争犯罪が日本人の名において徹底的に究明されたと言えるだろうか。
ブロサ氏はまた東アジアにはまだ十九世紀的ナショナリズムが残っており、歴史を巡って隣国との摩擦を繰り繰り返すのも政治的指導者が地域的覇権国家になりたがっているのだという。見事な見識だ。
インタービューの最後に「では、日本はどうしたらよいのでしょうか」との問いに「仕返しをしても何も解決しない、ということを徹底的に理解することでしょうね」